製粉業からはじまったカナダの蒸溜業界

「カナディアンクラブ」(以下CC)160周年記念第3弾。前回はCC創始者ハイラム・ウォーカーが1856年、アメリカのデトロイトから、国境線でもあるデトロイト川を挟んで対岸のカナダはオンタリオ州ウィンザーに蒸溜所を建設したことを話した。今回はカナダの蒸溜の歴史を見つめながら、CCについて語ることにしよう。
©satos

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16世紀末にはイギリスやフランスからの移住がはじまっていたカナダ。18世紀半ばまでは両国の植民地争いがつづき、それ以降は南の隣国アメリカとの関係を深めていった。酒類、とくにウイスキーにおいては巨大市場アメリカがカナディアンウイスキーを発展させたといえる。
蒸溜のはじまりは17世紀、1608年にフランス人が現ケベック州に植民地を建設後のこと、とされている。1668年にモントリオール近郊のビール醸造所に蒸溜器が設置され、これがカナディアンウイスキーづくりの発祥となったと考えられている。ただしその頃はフランス、オランダからの移民がブランデーやジンを盛んに製造しはじめていたようだ。
ジンはオランダで生まれ、イギリスで洗練、成長したといわれているが、実は西ヨーロッパで広範にわたり愛飲された初の蒸溜酒である。ウイスキーはアイルランドが多少知られてはいたが、スコッチにいたってはまだまだ地酒にしか過ぎなかった。東ヨーロッパはウオツカである。
ジンは西ヨーロッパからカナダに大量に持ち込まれた。これは木材買い付けの船のバラスト(船を安定、喫水を保つための荷足、底荷)でもあった。
18世紀になり、五大湖のひとつオンタリオ湖畔キングストン周辺で蒸溜所が生まれ、ここからモントリオールへ向かう沿道に続々と蒸溜所が生まれていったらしい。1769年、ケベックに記録上最初の登録蒸溜所(ジョン・モルソン)が設立。1776年にアメリカが独立を宣言すると、独立反対だったアメリカのイギリス移民たちたちがカナダへ移ってくる。彼らがカナダでライ麦や小麦を栽培するようになり、製粉業が発達。その余剰穀物からウイスキーを盛んに蒸溜するようになった。その副産物である残り滓は家畜飼料となり、製粉所兼蒸溜所は効率よく回転する。
この18世紀末あたりからカナディアンウイスキーは大きく動き出すことになるのだが、バーボンウイスキーのはじまりと時代は同じである。ただし品質としては、カナディアンはいまひとつだったらしい。やがて専門の蒸溜業者が生まれ、英仏系住民の分裂が解決し、カナダ統一政府が誕生した1840年頃にはエリー湖、オンタリオ湖畔、セントローレンス河畔に約200もの蒸溜所ができていたようだ。

カナディアン・テイストの発祥

カナディアンクラブ

カナディアンクラブ

カナディアンのイメージを大きく変え、高めたのがCCを生んだハイラム・ウォーカーである。製法に関しては『カナディアンクラブ/フレーバリング原酒のつくり分け』記事を参照いただきたいのだが、カナダ独自の香味の登場を告げるものだった。アメリカンウイスキーよりも切れ味がよく、爽やかなライトな感覚でドライ。アメリカンはもちろんのこと、アイリッシュ、スコッチにもない軽快でしなやかな味わいだった。この香味特性はCC誕生以降、カナダで製造されるウイスキーの大きな特長ともなった。
ハイラム・ウォーカーはCCの生みの親というだけでなく、現代に通じるカナディアンウイスキーの香味特性の創始者ということになる。
1858年にCCの前身となるウイスキーを発売するとすぐさまアメリカ東部で人気となる。とくに紳士たちの社交場、各地にあったジェントルメンズクラブで好まれた。新しい感覚、洗練された品格あるテイストとして受け入れられたのだった。
これによりウォーカーはブランド名を「ウォーカーズ・クラブ・ウイスキー」として売り出した。カナディアンで最初にブランド名を冠したウイスキーと言われている。
さて今回はここまで。次回はクラブウイスキーとしてアメリカ全土に名が高まっていくその歩みをお話しよう。(第4弾につづく)

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