冷蔵庫の普及とリンクした元祖家飲みウイスキー

 
サントリーウイスキーレッド

サントリーウイスキーレッド

 1929年(昭和4)、日本初の本格ウイスキー「サントリーウイスキー」(現サントリーウイスキーホワイト/)が発売された。つづいて翌1930年に発売された国産本格ウイスキー第2号は赤ラベルで、RED LABELと表記されていたことから「赤札」と呼ばれ、そこから白いラベルの国産第1号も「白札」と呼ばれるようになった。
 このことに関しては『サントリーホワイトを飲もう/2019年発売90周年』の記事で述べているが、「赤札」は戦後の高度経済成長期に家飲みウイスキーの象徴的な存在となる。
 1964年。東京オリンピックが開催されたこの年、「白札」「赤札」ともリニューアルされた。ブランド名も「白札」は「サントリーウイスキーホワイト」(現行品640ml・40%・¥1,174税別希望小売価格/以下同)となり、「赤札」は「サントリーウイスキーレッド」(現行品640ml・39%・¥884)となった。
 そして「レッド」はジャスト500円(当時は720ml/ちなみに「ホワイト」は720ml・¥700だった)という経済的価格での発売となり、家庭での晩酌(ばんしゃく)ウイスキーという地位を獲得していくのである。戦後トリスバーでウイスキーに親しんでいった人たちが、家庭で「レッド」を飲みはじめるのだった。
 時代とうまくリンクしたともいえる。1950年代後半から家庭での三種の神器と呼ばれた電化製品が、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫である。普及に最も時間がかかったのが冷蔵庫で、「レッド」発売の翌1965年に家庭普及率50%を超えたのだった。
 この冷蔵庫の家庭普及が晩酌ウイスキーというポジションを生んだといえるだろう。当初装備されていた冷凍庫は小さなものだったが、それでも家庭で氷がつくれるようになったことは革命的であった。家計を圧迫することのない500円という価格とともに、自宅でつくった氷をグラスに入れてウイスキーをロックや水割りで飲めると、世の中のお父さんは大喜びしたのである。
 実のところ、「レッド」は1960年代後半から1970年代前半にかけて「トリス」を抜いてウイスキー販売数量No. 1の座を獲得しつづけたのだった。晩酌ウイスキーが最も飲まれたのである。
 

ウイスキーは時代とともにある

 太平洋戦争後、敗戦に荒んだ人心を癒したのが「トリスウイスキー」、トリスバーだった。時代が生んだ酒であった。この大衆ウイスキーがあったからこそ、日本にウイスキーが根付いたといえるだろう。これにより「角瓶」や「オールド」が憧れのウイスキーとなり、豊かさの象徴となったのである。
 そして「レッド」の登場は、酒場の酒としてのウイスキーから、家飲みへと市場を大きく広げたといえる。また晩酌ウイスキーによって、水割りという飲み方が定着した。日本の大都市の水道水がいまよりもずっと美味しかったことも確かである。
 1970年代半ばからは「レッド」に変わり、「サントリーオールド」(現行品700ml・43%・¥1,880)の時代となった。日本は豊かになり、高級品としてかつては神格化された「オールド」が手の届くウイスキーとなったのである。
 「オールド」は和食店でも愛され、食事とともに水割りで楽しむウイスキーとして時代を築いた。このスタイルが定着したのは、「オールド」の酒質だけでなく、元祖晩酌ウイスキー「レッド」の下地があったからだとわたしは思っている。
 現在も「レッド」にはコアなファンがいて、食中酒として愛されつづけている。すっきりとしなかにモルティな豊かな香り、味わいが感じられる。
 新型コロナ禍、3度目の非常事態宣言により、家飲みで寛ぐしかない状況となった。この非常事態下の2021年5月1日、「赤札」としての発売から91年目を迎えた。ウイスキーは時代とともにあり、物語を生む。ロングセラーをつづける「レッド」を晩酌にしながら、新しい時代へと向かっていこう。
 

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