チャーチルはジンが好きだった、だけ
切れ味鋭く、セクシーな味わいのドライマティーニ/撮影・川田雅宏
さて、マンハッタンの19世紀の動きはこれまでの3回までにいろいろと述べた。今回少し、王様のマティーニについて語ろうと思う。
マティーニ好きの逸話として、カクテル・マンハッタンの誕生説のネタになっているジェニー・ジェロームの息子、英国首相として名高いウィンストン・チャーチルがいる。彼は、ドライベルモットのボトルを眺めながらジンを飲んだ、あるいは執事に耳元で「ベルモット」と囁かせながらジンを飲んだ、などいろいろ伝えられている。だからマティーニ好きだった、というようなことが多くの書物に書かれている。
これは大きな間違いだとわたしは思っている。チャーチルはジンが好きだったのだが、ジンをストレートで飲んでいるとは言えなかったのだ。
彼はセレブである。ロンドンの上流階級はワインかブランデーを嗜む。彼ももちろん嗜んだ。ところがジンは労働者階級が飲む酒であった。そして昔からイングランドではジンの飲み過ぎによる困ったちゃんがいっぱい増えて、社会問題になることがしばしばだったのだ。いまのジンの洗練されたイメージとは大きくかけ離れた時代だったのである。
当時は、“下層階級の酒を嗜んでいる”とチャーチルは表立って言えなかった。だから“わたしはジンのストレートを飲んでいるのではない。マティーニを、カクテルを飲んでいるのだ”とのポーズを取っていただけの話だとわたしは考える。
フランクリン・ルーズベルトはマティーニ好き
政治家で真のマティーニ好きとして知られたのはアメリカのフランクリン・ルーズベルトである。彼は大統領選で、公約のひとつに禁酒法撤廃を謳い当選したくらいだから、酒も嗜んだ。一日の仕事が終ると、童心に返る時間、チルドレンズ・アワーになったと言って、ホワイトハウスのスタッフとマティーニを飲んでリラックスした。ときにフランクリン自らの手でマティーニをつくりサービスしたという。
これ以降、アメリカではマティーニ・ファンが増大する。いまでもフランクリンは歴史的に最も尊敬される大統領のひとりとして国民の人気が高いが、それも手伝い、マティーニはアメリカの酒、いやアメリカで生まれたカクテルだ、と叫びつづけているのである。
イタリア人が仕掛けたジン&イットの派生であるなんて、とにかく認めたくないのだ。
さて、マンハッタンのアレンジで、スコットランドの義族の名を冠したロブ・ロイがある。これはマンハッタンのベースのライウイスキーをはじめとしたアメリカンウイスキーを、スコッチウイスキーに代えただけのものである。
このロブ・ロイをスコットランドの酒場でオーダーしても通じないことが多いから注意していただきたい。スコットランドでロブ・ロイを飲みたかったら、“マンハッタンをスコッチで”と言ったほうが通じる。
アメリカか、もしくはイングランドのバーテンダーがつくったものであろう。
カクテルにはそういうことが多い。友人のバーテンダーがジャマイカに行って、ジャマイカン・マティーニをオーダーしたらまったく通じなかった、と驚いていた。驚くことはない。だってアメリカで生まれたカクテルなんだから。
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