赤く甘いマティーニ

マンハッタン

マンハッタン

さて2回目からはカクテル・マンハッタン誕生の話をしよう。前回の1回目は必ず読んどいてね。
まずベルモットについて。マンハッタンはライ・ウイスキーとベルモットのミックスだが、ジン&イットの流れを汲んでいるという話を前回した。
イット(it)とは英語の指示代名詞ではなく、イタリアのスペル、アタマの2文字のit。これは1850年頃にイタリアのマルティーニ&ロッシ社が、自社のスイートベルモットを売り出すためにカクテルのGin&Itを広めた。
ベルモットとは白ワインにニガヨモギをはじめとしたハーブやスパイス類を浸漬したフレーバードワイン。スイートベルモットは甘口で、カラメルで着色してあり、赤い色をしている。イタリアンベルモットとも呼ばれる。いっぽうスイートベルモットよりも遅れて誕生したのがドライ(辛口)ベルモットで、これが現在のマティーニによく使われる色白のフレンチベルモットとも呼ばれるものだ。
つまりマンハッタンはジン&イットのジンをライウイスキーに代えたもの。マティーニはジン&イットのベルモットをイタリアンからフレンチ(スイートからドライ)に代えたもの。面白いことにマティーニの原型は赤かったのだ。しかもその頃のジンはオールド・トム・ジンという砂糖で甘みをつけたものが主流であり甘かった。赤くて甘い、これがマティーニのはじまり。

話をすすめると、スイートベルモットがアメリカにわたり、雑味が多く荒々しかったライウイスキーにミックスするとなんだかいい風味ではないかということになった。これがカクテル・マンハッタンのはじまりではなかろうか。
なぜライウイスキーなのか。アメリカでは19世紀末まではライが主流。バーボンが知られるようになったのは南北戦争(1861~65)以降で、リンカーンが北軍の兵站地をケンタッキーに置き、そこから北軍の前線に兵糧を輸送した。バーボンも送られたので、メジャーとなるきっかけとなったのだ。

カクテル・マンハッタンの誕生

余談がすぎたが、ジン&イットのPRからアメリカにスイートベルモットが入り込み、ライウイスキーにもミックスしたのだろうから、まあ遅くとも1860年代にはマンハッタンは生まれていたのではなかろうか。確固たる名が存在していなかっただけのことだと思う。
アメリカのメリーランド州、1846年。傷ついたガンマンがバーに入ってきた。そこで気つけとしてライウイスキー、シュガーシロップ、ビターズをミックスして飲ませ、元気づけた。そのレシピがニューヨークに伝わり、やがてスイートベルモットが使われ、いつしかニューヨークの中心であるマンハッタンと呼ばれるようになったという説がある。
では、チャーチルの母となるジェニー・ジェローム説。彼女は銀行家でアメリカンジョッキー・クラブの創立者レナード・ウオルター・ジェロームの娘で、ニューヨーク社交界の花だった。1876年の19代大統領選で、応援候補者のパーティーをマンハッタン・クラブで催し、そこでジェニーが皆にカクテルをふるまった。そのカクテルをマンハッタンと命名、なんてことが伝えられている。そしてこの説を皆語りたがる。
わたしは、著名人だから、名の通った人物で聞こえがいいから、としか解釈していない。その前にレシピは存在していたと思うからだ。正直、メリーランド州からの流れがすんなりとくる。

次回もマンハッタンをつづける。ドライ・マティーニの誕生から、マンハッタンのベースをスコッチウイスキーにしたロブ・ロイについて述べようと思う。

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