真ん中が美佐子夫人 |
「お店を再開することがなかったら、こういう考えに至ることはなかったでしょう」と夫人は後に述懐した。
彼女は山口氏に決心を打ち明ける。「山小屋を引き継いで欲しい」。
そこから山口氏の苦悩がはじまる。自分の城がある。店がある。スタッフがいる。『山小屋』のように長く愛される店を目指し頑張ってきた。手放したくはない。またそんなことよりも、継いだとして及川氏の客に自分が受け入れてもらえるとは思えなかった。
迷った。決断するには何十日もかかった。
山口氏も『バー ヤマグチ』のスタッフも、もちろん美佐子夫人も、及川武夫氏を中心とした運命のサークルの中でまわりはじめていた。
及川氏は衰え、2003年6月入院、皆が覚悟した。7月及川氏に内緒で山口氏は『山小屋』のカウンターに立つ。
10月、山口氏は及川氏の病床で「山小屋を継がせていただきます。未熟ですが、精一杯の努力をしてまいります」と告げた。すると人工呼吸器を付けた及川氏の顔が急に穏やかになった。それから3時間後、息を引き取る。
色褪せることないスピリッツ
山口氏の環境は短期間で急展開した。いろんなことが変わった。でも彼はこう言う。「よく考えてみると、どんな時も、私の傍にはいつも及川さんがいてくださいました。亡くなられたいまもそうです。それは変わらない。私の役目は、いつも山小屋を開けておくこと。灯を消さなければ、及川さんの魂はカウンターで生きつづけます」
山口氏はいま無理せず自然体で『山小屋』のカウンターに立っている。
美佐子夫人はいま、金、土曜日の週二日だけ、古くからの常連客のためにカウンターに立つ。
柚シロップを使った及川氏考案の柚カクテル |
ジン・リッキー、ダイキリ、サンジェルマン、そして及川オリジナルの柚カクテル。これだけは及川氏の香味を踏襲して山口氏はつくる。ファンが多いからだ。
ただ他は山口スタイルでサービスする。山小屋のイメージを変えることなく、じっくり時間をかけて山口色を出して行こうとしている。
ウイスキーはバランタイン12年、ボウモア12年が人気だ。ただしこの店は8割がカクテル客。30代後半から50代半ばの客が中心で、福島市内でも大人の店、そして老舗として知られている。(写真/斎城卓)
INDEX“おすすめのバー『北海道・東北』”もご覧いただきたい。