旭山動物園は廃園の危機に立たされていた!

旭山動物園
一時は廃園の危機に立たされた旭山動物園。(画像提供:Amazon.co.jp)
1994年、その動物園は廃園の危機に直面していた・・・

野生のキタキツネの侵入により、動物園で飼育されていたローランドゴリラやワオキツネザルに寄生虫“エキノコックス”が感染し死亡。園側は人への感染を予防するために一時閉園を決定。人々は動物園から離れていくことになる。この年、動物園への入場者は年間28万人とピークの半分以下にまで落ち込んでしまった。

市の予算で運営されていた動物園には市議会議員からも廃止の声が上がり、将に動物園は存亡の危機に立たされていた。

その動物園とは日本最北端の動物園としても知られる旭山動物園・・・

上野動物園と日本一の入場者数を競う現在の姿からは想像もつかない状況と言える。

旭山動物園は1967年7月、開道百周年に当たる年に札幌市円山動物園、おびひろ動物園に次ぐ北海道で3番目の動物園としてオープン。記念式典ではスウェーデン臨時代理大使、ソ連大使館参事官、アメリカ札幌領事などの各国代表が参列し、地元民のみならず国際的な期待のかかる動物園として順風満帆なスタートを切った。

当時、動物園の物珍しさも手伝って入場者数は順調に推移し、初年度およそ46万人を集めると、毎年40万人前後の入場者数を誇っていた。
順風満帆に見えた旭山動物園に忍び寄る暗い影とは?
   

旭山動物園の人気後退・苦悩

遊園地の併設で集客力アップを図った旭山動物園だったが・・・

遊園地の併設で集客力アップを図った旭山動物園だったが・・・


園長から飼育係に至るまで少ない人員ながらも旭山動物園は、理想の動物園を実現すべく日々ビジョンに向けて邁進していた。ところが、物珍しさがなくなると入場者数が停滞。園側は理想の動物園を実現して事態を打開したいと熱望していたが、市側が率先して進めたのが園側の意思と反した遊園地の併設だった。1977年に豆汽車を手始めに、78年にはチェアタワー、そして83年にはツインドラゴンジェットコースターと魅力ある遊具を次々に導入した。特にジェットコースターは北海道初という珍しさもあり、導入当初から人気が爆発。最高で3時間待ちという長い行列が続くことになった。

動物園に遊園地が併設されたことにより、旭山動物園の集客力は大幅にアップ。1983年には60万人近い入場者数を記録した。

ただ、この遊園地効果は長い間続くことはなかった。遊園地の遊具は導入すれば、その年は集客アップの効果を発揮したが、集客効果を維持するためには翌年も新たな遊具を導入しなければいけないという状況だった。

一方で動物園に目を転じれば、施設は老朽化が進み、園側は改装を望むも市議会では市民の生活を最優先させ、動物園のための予算は最低限しか確保されず、来園者にとって魅力的な動物園作りを行うことが出来なくなっていた。

来園者は老朽化した施設の中でいつも眠ってばかりいる動物を目の当たりにし、動物園に対する興味を失い、日に日に足が遠のいていった。

魅力を失った旭山動物園の入場者数はみるみる減少を続け、1993年にはピークの60万人から20万人以上減少し40万人へと後退していた。

そして、入場者の減少に決定的な影響を与えたのが寄生虫“エキノコックス”による閉園。この一件以来、人々は動物園を敬遠するようになり、1996年には史上最低の26万人まで落ち込んだ。

果たして旭山動物園はどのようにしてこの危機を乗り越えたのか?
 

旭山動物園の展示方法……「行動展示」

旭山動物園
『動物との共存』で復活を遂げた旭山動物園。(画像提供:Amazon.co.jp)
存在意義を根底から揺るがされ存亡の危機を迎えた旭山動物園だが、一つの光明が差し込む。それがレジャー施設の誘致を公約に当選した市長の存在だ。市長はバブル崩壊後の景気の冷え込みで民間の水族館などレジャー施設の誘致が難しいと判断すると、旭山動物園の再生に期待をかける。

1995年に市長は園長に改装を打診。これまで園を上げて理想の動物園作りを模索していた園側は一丸となって、これまで他の動物園では類を見ない“行動展示”という手法を用いて、動物のありのままの姿を見せることに挑戦する。

動物園改革は1997年、ウサギやヤギなどの小動物に触れ合うことができる『こども牧場』から始まり、『ととりの村』や『もうじゅう館』、『さる山』、『ぺんぎん館』、『オランウータン舎』、『ほっきょくぐま館』と毎年のように続く。

旭山動物園ではこれら予算をかけた園の改修に加え、来園者がより動物に親しんでもらえるよう直接動物の飼育に携わる係員から様々なアイデアを引き出して事業化していく。

まず、飼育係員自らが担当している動物の日常の姿を自分の言葉で伝える「ワンポイントガイド」では、書物で学べる動物の特性を語るのではなく、動物個々の日常的なしぐさやケンカの話題など飼育係の視点からの説明が却って人々の興味をそそった。また、予算の関係で製作できなかった看板の代わりに手書きで園内の最新情報を紹介する「手作り看板」も人間味が溢れていると来園者の好評を得た。

そして、今や夏の風物詩となった夜の動物の生態が垣間見れる「夜の動物園」や冬の風物詩である「ペンギンの散歩」など動物の生態に合わせたイベントも、普段見ることのできない動物の一面を垣間見ることができると熱心なファン作りに一役買った。

旭山動物園は存亡の危機に立たされながらも、動物園に携わる者の動物園にかける情熱、動物を生き生きと見せる方法への追求、行政や市民の全面的なバックアップにより入場者数はV字回復を遂げることになる。

2004年には『あざらし館』のオープンがマスメディアで大々的に取り上げられると年間入場者数は初の100万人を突破。そして開園40周年を迎えた2007年度には307万人に達し、日本一の入場者数を誇る上野動物園の350万人に肉薄するところまで成長を遂げた。

旭山動物園に見る企業再生のヒントとは?現代の経営に苦しむ多くの企業にとって大いなる示唆が与えられます。
 

旭山動物園に見る事業再生の秘訣とは?

事業で成功を目指すにはまずはトップの揺るぎないビジョンが大切!

事業で成功を目指すにはまずはトップの揺るぎないビジョンが大切!


旭山動物園の劇的な復活は市営という側面があるものの、現代の経営に悩める多くの一般企業にとっても事業再生へのヒントを得ることができる。

まず、最も重要なポイントして挙げられるのが、どんな状況に追い込まれてもトップがぶれずに事業の理想を描き続けたことだ。トップの理想の動物園を追い求める姿勢が従業員にまで伝わり、組織一丸となってビジョンを実現するために日々準備を怠らなかった。

旭山動物園では廃園の危機に立たされていた状況においても内部で「そもそも動物園はどのようなものであるべきか」というテーマで議論を重ね、常に動物園としてあるべき姿を追求し、組織に属するもの全てがビジョンを共有していた。このような議論を通して、理想の動物園像がみんなでシェアされ、組織に属するもの一人一人が自分の役割を認識して仕事に情熱を持って働くことができたのだ。

市営の動物園は様々なことに制限のある組織と言えるが、経営資源を持たないからと理想を追い求めるのを諦めるのではなく、自分たちができることから始めようとビジョンを追求する真摯な姿勢が改装予算の獲得という幸運を引き寄せることに繋がったのである。

また、プロダクトの観点から見習うべきは、見せ方を工夫することによって差別化を実現している点だ。

旭山動物園にいる動物達というのは他の動物園とあまり変わり映えしないといっても過言ではない。動物園の目玉ともいえるジャイアントパンダやコアラなどがいるわけでもなく、将にどこの動物園にでもいるような動物なのだ。ただ、そのどこにでもいるような動物達の魅力を最大限発揮するために飼育係の人たちは見せ方を工夫したり、動物個々の飼育中のエピソードを「ワンポイントガイド」として来園者に語りかけたりしてより来園者が個々の動物に興味や親しみを持つ方法を導入して差別化を図ってきたのだ。

続いてプロモーションの観点からも予算が無いなりに効果的な戦略で大きな結果を残している。毎年のように動物園改革に取り組み、定期的にマスメディアに情報を提供。2004年の『あざらし館』のような斬新な展示方法が全国的なニュースに取り上げられるなど、パブリシティを活用してマスメディアへの露出を増やし、その知名度を上げてきた。

その知名度の高さから流通面においても多くのパッケージツアーの目玉として採用されるなど全国から人が集まる仕組みが出来上がったことも集客増に多大な貢献を果たしている。

これら、特にずば抜けた経営資源を保有しているわけでもないのに月間入場者数で日本一を達成した旭山動物園の事業改革は、無いものをねだってネガティブに活動するのではなく、今あるものを最大限に活かしてポジティブに効果を上げていくという気持ちが最も重要な事を物語っているのではないだろうか。

【参考書籍】
『旭山動物園の奇跡』

<旭山動物園の詳しい成功への軌跡をお知りになりたい方は『旭山動物園の奇跡』をお読み下さい。お薦めです。>
旭山動物園の奇跡

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