中村語録を教えよう
中村健二氏のバーテンダー歴は半世紀にもおよぶ。銀座の名バーとして知られる中村氏の店『絵里香』は39年目を迎える。日本バーテンダー界の重鎮であるが、現在、1925年(大正14)からつづく銀座社交業組合の理事長も務めている。
よく通る声でテンポよく話す中村氏の話に、つい引き込まれて時間を忘れる。 |
その夜の客の心理状態を読み込んだ接客は、まさにドクターだ。
先日、中村氏の酒を飲んだ。そしてシングルモルト山崎18年を飲みながらジャパニーズウイスキーについて話した。その時の中村語録を紹介しながら話をすすめる。
中村語録その1●
『ウイスキーづくり80有余年の国の香味が、世界最高峰になったことは感慨深いものがあるし、誇りに思う』
中村氏は毎年国際バーテンダー協会(IBA)の国際カクテルコンペティションに出席する。その時、IBAの役員たちへ響や山崎を土産に持っていくと、世界のバーテンダーたちが非常に喜ぶという。
『山崎18年』。中村氏は最初はストレートで、次に水をスプーンで少しずつ足して割って味わうスタイルをすすめている。香りがぐっと花開くのが愉しめる。 |
日本を極めて、国際品となる
1950年代末、昭和30年代初頭、まだ中村氏が駆け出しだった頃。スコッチは金持ちだけの酒だった。高い関税に輸入の数も制限され、ジョニ黒、シーバスリーガル、オールドパーなどは垂涎の酒だった。愛飲家はトリスを飲み、懐が温かい時に白札(ホワイト)、特別な時だけ角瓶を飲む。サントリーオールドの生産量は極めて少なく、サントリーの営業マンでさえなんとか1本確保して銀座のバーの裏口へそっと手渡しにくる。バーテンダーは1本のオールドを拝むようにして押し戴いた。それを思えば、隔世の感。
スコッチの8割は輸出だ。ウイスキーづくりの歴史は浅いが、日本人が、日本人のためにつくった香味が、いま国際品となった。日本人のスピリッツが込められたウイスキーを、いま世界は飲む。さて、次ページでは中村語録をたくさん紹介する。(次ページにつづく)