憂いのある表情とラム
上/グレナダのホテルのマダム。下/マダムの子息。 |
大学はN.Y.だったと言う。大学時代の思い出話をたくさんするのだが、質問するとはぐらかす。大恋愛をしたことは言わなくてもわかるのだが、恋の話は一切しないのだ。おそらく、かなり深い傷を負っているのだろう。
夜が深まるほどにゴールドラムは輝きを増す。飲むほどにマダムは憂いを増す。ところが男と女のいい感じになってきたな、という頃合いにマダムの小さな子どもが「おやすみ」を言いに来るのだ。
すべて台本があるんじゃないの、と勘繰るほどタイミングがいい。愛嬌のあるその坊やは、私にもキチンと挨拶をする。仕方がないからこちらも愛想よく振る舞う。
一度、「あなたはオーナーなのか?」と聞いた。彼女は「オーナーはめったにここへは来ない」と言った。訳ありだよな。
3夜とも、まったくこの調子で、バーテンダーは屋台の壁と同化してしまって、途中からは存在を忘れてしまうほどだった。
4日目の夕方、トリニダード・トバゴへ向かうためにホテルを出て空港に向かった。ホテルの女将と客との関係でありながら、これほど別れを惜しんだ経験はない。
しかし他の滞在客もいたのに、あのバーへ顔を出す客は誰もいなかった。不思議だ。夢だったのではないかと思っている。
トリニダード・トバゴには10日ほどいたが、カーニバルの熱に焼かれながらもマダムの顔が思い出されて仕方がなかった。なんて単純なんだろうね。しかもトリニダードにもいいラムがあるのに、そこでもバルバドスのゴールドラムのロックばかり飲んでいた。
東京に帰って、バーですぐラムを飲んでみた。駄目だった。あのまろやかで深みがありながらキレのいい味わいを感じることができない。マダムと飲んだ酔いの世界を体感することはない、と知った。
だからラムはカクテルベースだけの酒になってしまった。いくらバーテンダーにいいラムがあるからとすすめられても、私は飲まない。カリブの風に吹かれながらの旨さを体感してしまったことが、ラムを遠ざけることになった。
怠け者のバーテンダーのスコッチ・ソーダと美人マダムのラムの残した刻印はあまりにも濃すぎて、いまだに私の心に焼きついている。
前回の思い出トランクに詰めた酒の話『グラスにゆらめく、ホテルカリフォルニア』もご覧いただきたい。