誰もが無謀と思った。だが及川氏は、ホテルという特殊な人間交流の場で、山口氏に接客を学ばせたかったようだ。
ホテルに勤めながら、山口氏はいつも及川氏のアドバイスを受けていた。そうやって10年の年月を過ごし、1998年、山口氏は独立を果たす。『バー ヤマグチ』を開業する。
やっと一人前になれた気がした。だが『山小屋』のように長く人々に愛される店を目指し、バーテンダーとして少しでも及川氏の域に近づきたいと気を引き締めた。
今年で42年目を迎えた『バー山小屋』 |
『山小屋』は及川氏と美佐子夫人のふたりでやっていた。
寡黙な及川氏は必要以上のことは喋らない。夫人は生涯一娘のような明るい女性で、気風がいい。それぞれの持つプラスとマイナスの面を互いに上手く補っていた。
ふたりのカウンターでの姿は鶺鴒(セキレイ)のようだった。鶺鴒はかならず雌雄ひとつがいで、仲がいい。及川夫妻はまさにそれだ。
『バー ヤマグチ』が軌道に乗りはじめた2001年、及川氏が体調を崩す。脳内出血で入院。回復が早く、わずかな期間で退院し山口氏が安堵したのもつかの間、9月に再入院。脳腫瘍だった。
動きはじめた運命のサークル
美佐子夫人は覚悟を決めていた。医者には半年か1年と告知された。残された時間、及川氏を見守りつづけることだけを考えた。ところが及川氏は驚異的な快復力をみせる。リハビリに励みながら「店に立ちたい」と及川氏は言う。夫人はそこではじめて『山小屋』の再開を決意する。
1年半の休業後、2003年1月に再び『山小屋』に火が灯る。夫人は一日でも長く及川氏がカウンターに立てるようにと祈った。
春になり、夫人は不安になる。
及川氏はレシピを思い出せなかったり、器具を倒したりと苦悩が見えるようになる。
客の様子もおかしい。涙を流しながら飲む客。店外に出た瞬間に号泣する客もいる。
及川氏がカウンターに立っている嬉しさ、思い通りに行かずはがゆそうにしている姿を見る辛さ、客の感情も入り乱れていた。
「こんな営業の仕方はよくない」。そう感じた夫人は一大決心をする。(次頁へつづく)