エンジェルズ・シェアは貴人たちのもの
山崎蒸溜所貯蔵庫
高貴な、という評価を知ったとき、わたしは山崎という地の歴史風土が育む香味でもある、との感慨があった。モルトウイスキーはつくられた地の気候風土の影響を色濃く映しだすといわれているが、山崎モルトは、万葉の時代、そして中世にかけてこの地との縁の深い貴人たちのスピリットも投影されているような気がするのだ。
前回の『やまざき物語序章』でも述べたが、万葉の時代に孝徳天皇が離宮を山崎に造って後、さまざまな貴人たちが山崎と関わっている。
大昔の山崎は京都と瀬戸内海を結ぶ大動脈である大河、淀川の要衝の地であった。港湾施設(川港)、山崎津(やまざきのつ)が造営されたのは784年、長岡京遷都(784年平城京より遷都、794年平安京遷都)にともなってのことらしい。たとえば大阪側から船でさかのぼると、山崎津から陸路、京都へと人々も物資も向かったのである。
その象徴的な文献が紀貫之(866もしくは872年頃—945)の『土佐日記』。935年2月11日、“やまさきのはしみゆ うれしきことかぎりなし”と著されている(『山崎蒸溜所90周年(3)/土佐日記と山崎』に詳細)。
紀貫之は歌人として名高いが、山崎との関わりがある人物が六歌仙のひとり、在原業平(825—880)である。百二十五段からなる歌物語『伊勢物語』(作者不詳・紀貫之説有り/成立年不詳・900年代とみなされている)は業平が主人公とみなされている。
“世の中に たえて桜のなかりせば 春のこころはのどけからまし”
貴人たちはグラスに集っているかもしれない
これは『伊勢物語』第八十二段渚の院のなかで業平とされる主人公が桜の咲く頃に山崎を訪れ、狩にでたときに詠んだ歌である(『山崎90周年(2)/伊勢物語と山崎』に詳細)。2020年に高樹のぶ子著『小説伊勢物語 業平』が刊行され話題になったが、こちらから業平という人物を探りだすのもいい。
歌人としてつづく貴人が、後鳥羽上皇、藤原定家である。彼らは山崎の地を愛し、歌を詠んでいる。
貯蔵庫での樽熟成において、原酒は少しずつ樽外部へと蒸散して減っていく。これを天使の分け前(エンジェルズ・シェア)というが、山崎での熟成樽の蒸散は古典文学の歴史に名を刻んだ彼ら貴人たちのゴーストが酒宴を繰り広げているからではなかろうかと、勝手に想像して楽しんでいる。
2003年ISC金賞受賞で、こうした貴人たちが歌を詠んだ地、山崎から生まれるモルトウイスキーが“ノーブル”と評価されたのは、彼らの魂が宿っている証しではなかろうかと。(撮影・川田雅宏/『山崎蒸溜所100周年2/桜の魂はウイスキーに宿る』はこちら)
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