山崎の靄は手招きする

サントリー山崎蒸溜所

サントリー山崎蒸溜所

ノーベル文学賞の候補に4度もなった谷崎潤一郎は、1926年(昭和2年)に山崎を訪れている。その7年後、1933年に『蘆刈』(あしかり)を発表した。
能の『蘆刈』、『大和物語』百四十八段などの影響を受けているとされ、紀行文かと読みすすめると幻想的な物語へと発展していく、夢幻能のような美しい世界観にあふれた作品だ。舞台は山崎蒸溜所からほど近い、桂川、宇治川、木津川の三川が合流し大河、淀川となる地点で、その描写は見事である。
男が秋の山崎を訪れる。水無瀬神宮周辺を散策し、うどん屋に入ってきつねうどんと酒を飲んで身体を温め、店をでるときにもまた酒を持たせてもらう。日暮れて船着き場に行くのだが、月がとても美しいのですぐには淀川の渡し船には乗らず、テイクアウトした酒を蘆の生い茂る川の洲で飲みはじめる。月見の一杯を風流に味わっていると、蘆の間から見知らぬ男が現れ、身の上話を聞かされるという展開だ。
余談だが、作中のうどん屋さんは「かぎ卯」という大正元年創業の店で、山崎の名水で仕込んだうどんやだし汁はとても美味しく、いまも評判の高い店だ。5、6年前にサントリーの輿水精一チーフブレンダーやブレンダー室の方々と昼食時に入ったことがある。おいしかった。輿水チーフは山崎蒸溜所の社員食堂では天ぷらうどんばかり食べられることで有名だが、その時「かぎ卯」では違うものを食べられていた記憶がある。
話をもとに戻そう。文豪・谷崎の描写である。
“ちょっと見ただけではなんでもないが立ち止まっているとあたたかい慈母のふところに抱かれたやうなやさしい情愛にほだされる。殊にうらさびしいゆふぐれは遠くから手まねきしているやうなあの川上の薄靄の中へ吸い込まれてゆきたくなる”(『吉野葛・蘆刈』岩波文庫より抜粋)

山崎は祝福すべき地

春暁の背割り堤の桜並木

春暁の背割り堤の桜並木

谷崎が山崎に来遊する3年ほど前に、その薄靄の中へ吸い込まれていった男がいる。
寿屋(現サントリー)創業者、鳥井信治郎。1923年(大正12年)、日本初の本格ウイスキーづくりを目指して山崎蒸溜所の建設に着手した。今年、2013年11月に90周年を迎える。
信治郎も谷崎と同じように三川合流の薄靄を体感したことだろう。名水の地であるばかりでなく、湿潤な風土はウイスキーの樽貯蔵熟成に貢献し、90年を迎える現在も変わることなく麗しいウイスキーを育みつづけている。
2008年桜の季節。わたしは谷崎の夕靄ではなく、とても幻想的な朝靄を体感した。三川合流地点やや上流の宇治川と木津川を隔てる1km以上にもおよぶ背割り堤の桜並木は、満開ともなると朝靄をピンクに染め上げる。春暁の瞬く間、日が昇りかけたわずかな時間だったが、背筋から脳天にかけての痺れがしばらくやまないほどの感動を覚えた。画像はそのわずかな時間の美を、わたしと一緒にいた写真家・川田雅宏氏が捉えたものだ。
あの早朝、わたしは山崎蒸溜所の立地にあらためて感服した。この山崎の地が、日本初の本格ウイスキー発祥の地であったことは大いに祝福されるべき幸運であると断言できる。

2013年11月に90周年を迎える山崎蒸溜所の記念企画として、山崎の風土と歴史を紹介しながら山崎のウイスキーづくりについて語っていく。シリーズとして何回になるかわからない。しかも不定期だが、書きつづけようと考えている。次回第2回は山崎が初めて歴史の舞台に登場した7世紀の話からはじめるつもりだ。(すべての撮影/川田雅宏)

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