ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂
帝都ローマの中心フォロ・ロマーノ
ローマ時代の遺構をまとめた世界遺産で、アウレリアヌスの城壁に囲まれた地域がローマ歴史地区だ。この地区内には帝国の中枢フォロ・ロマーノ、円形闘技場コロッセオ、総合保養施設カラカラ浴場、パリの凱旋門のモデルになったコンスタンティヌス凱旋門などが含まれており、これにバチカン市国の飛び地であるふたつの大聖堂とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂が一緒に登録されている。
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フィレンツェ歴史地区
サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂のクーポラ
建築、絵画、文学、音楽、食……人間の感覚・感情が爆発し、あらゆる芸術が格段の進歩を遂げた再生の時代、ルネサンス。そのルネサンスを先導したのがフィレンツェだ。メディチ家が金融業で成功するとヨーロッパ最大の富がフィレンツェに集中。芸術家を庇護し、街を再建すると、ダンテ、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチなど、超一流の芸術家が集まってヨーロッパに革命を起こした。
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ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域
イタリア、1997年、文化遺産(iii)(iv)(v)ポンペイの公共広場フォロとヴェスヴィオ火山
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アマルフィ海岸
アマルフィの断崖とポジターノの街並み
ナポリの南にある複雑に入り組んだ海岸線は美しいだけでなく、防衛上非常に有効であることから人が集まりはじめ、9~10世紀には都市国家アマルフィとして独立する。ルネサンス以前、最先端の科学技術はイスラムにあり、アマルフィは航海術をはじめ様々な技術を取り入れて繁栄する。ポジターノの大聖堂などではイスラムの影響も見ることができる。
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ヴィッラ・アドリアーナ(ティヴォリ)
イタリア、1999年、文化遺産(i)(ii)(iii)ヴィッラ・アドリアーナのカノープス
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ラヴェンナの初期キリスト教建築物群/イタリア
ラヴェンナ、サン・ヴィターレ聖堂のモザイク。中央がユスティニアヌス
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ベネチアとその潟/イタリア
ベネチアのサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会
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ウィーン歴史地区
部屋数2,500を超えるといわれるホーフブルク宮殿 ©牧哲雄
スイスから領地を移してオーストリア王家となったハプスブルク家。1438年のアルブレヒト2世以降、神聖ローマ帝国が滅びる1806年まで皇帝の座をハプスブルク家が独占する。結婚政策で次々と領地を増やし、最盛期には西ヨーロッパの多くと南北アメリカ大陸、さらにアジア、アフリカの一部をたった一家が治め、帝都ウィーンを中心に「日の沈まない国」が完成した。
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シェーンブルン宮殿:オーストリア・バロックの最高峰
「シェーンブルン宮殿と庭園群」の宮殿本館と庭園グレート・パルテール
フランス・ブルボン家のベルサイユ宮殿に対抗して、オーストリア・ハプスブルク家が贅と粋を尽くした夏の離宮シェーンブルン宮殿。バロック、ロココの装飾が美しいだけでなく、動物園や植物園からクラシックコンサート、オーストリア料理、宮殿ホテルまで、さまざまなアトラクションで観光客を魅了する。
キンデルダイク・エルスハウトの風車群
キンデルダイクの風車。風車内部は住居として使われていた
オランダは13世紀から海に堤防を作って水を引き抜く干拓によって土地を増やしてきた。そのため国土の1/4は海面下にあるといわれている。18世紀にキンデルダイクに風車網が建てられて、干拓地に入った水を風力によって運河に戻すシステムが作られた。キンデルダイクには現在19基の風車が残されており、いまなお活動を続けている。
サンマリノ歴史地区とティターノ山/サンマリノ
城砦チェスタから眺めた城砦グアイダ
ティターノ山の断崖を利用して強固な城砦を築き、「自由」を掲げて1,700年以上も独立を守り抜いてきた世界最古の共和国、サンマリノ。堅牢な城壁や城砦はいまも中世の街並みを守り続けており、そしてまた城砦から見下ろすアドリア海の絶景は息を呑むほど美しい。
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