世界遺産「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」

ヴェスヴィオ山麓にたたずむポンペイ遺跡

ヴェスヴィオ山麓にたたずむポンペイ遺跡。2500年ほど前から1世紀まで、ここには風光明媚な町が広がっていた (C) ElfQrin

西暦1世紀、火山の爆発によって地中に埋もれてしまったポンペイをはじめとするローマ都市。その悲劇と引き替えに、街は火山灰によって保護されて、ローマ時代そのままの街並みをいまに伝えている。

今回はイタリアの世界遺産「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」を紹介する。

ポンペイ(Googleマップ)
エルコラーノのヘルクラネウム(同上)
トッレ・アヌンツィアータのオプロンティス(同上)

ポンペイを襲ったヴェスヴィオ山の大噴火

ポンペイのヴェスヴィオ通り

住居が建ち並ぶポンペイのヴェスヴィオ通り。建物が石のプラットフォームの上に築かれているのがわかる

地中海に突き出したイタリア半島の南側、ナポリ湾に面するポンペイは、アマルフィに続く美しい海岸線と、富士山のように雄々しくそびえるヴェスヴィオ山に挟まれた風光明媚な街。

最盛期には1~2万人の人々が光輝く太陽と温暖な気候の下でパンを焼き、ワインを飲み、恋をして、明るく楽しく暮らしていたという。西暦79年8月24日の午後、そんな街をヴェスヴィオ山の大噴火が襲う。 

ヴェスヴィオ山から噴き出した岩石がポンペイに落下し、やがて高温の有毒ガスと火砕流が時速100kmを超えるスピードでポンペイを覆う。この一瞬で約2000人が命を奪われたという。噴煙は空を黒く染め尽くし、降り続く火山灰は街を5~6mも埋め尽くしてしまう。
ヘルクラネウム、ネプトゥヌスとアンフィトリテの家のモザイク

ヘルクラネウム、ネプトゥヌスとアンフィトリテの家の美しいモザイク (C) Tim Brighton

一方、ヴェスヴィオ山により近い漁港ヘルクラネウム(現在のエルコラーノ)は、爆発当初は地形と風向きのおかげで被害を免れ、多くの人が避難できたようだ。しかし、その後火砕流や泥流に飲み込まれ、ポンペイやオプロンティス(トッレ・アンヌンツィアータ)と同じように大地に埋もれてしまった。 

以来18世紀に発見されるまで、これらのローマ都市は人々の記憶から忘れ去られることになる。

このポンペイの悲劇を描いた映画が2014年に公開されたポール・W・S・アンダーソン監督『ポンペイ』だ。劇中では主人公マイロが戦った円形闘技場をはじめ、ポンペイの街並みが見事に再現されている。

[関連サイト]

ポンペイ、ヘルクラネウムの発見と石膏像

ポンペイ大劇場

大劇場。「パンとサーカス(見世物)」という言葉で表現されるようにローマ帝国では福祉・娯楽が充実していた。ここでも喜劇や悲劇が上映されていた

16世紀、ブドウ畑を耕していた農民によって、ポンペイにはなんらかの遺跡があることが発見されていたという。1709年にはエルコラーノ周辺でたまたま井戸を掘っていた農民が、地下20mの地点で大理石の柱を発見する。

これらの遺跡を確認するために大規模な発掘調査が行われ、1738年にはヘルクラネウム、1748年にはポンペイがおよそ1700年ぶりにその姿を現した。調査隊はその保存状態のよさに驚愕したという。 

一瞬で火山灰や岩石に覆われたために、街は風化することなく保存されていた。日用品や美術品は当時そのままの状態で保管され、少ない空気や有毒ガス・火山岩が劣化から守っていた。
避難者の園の石膏像

ポンペイの「避難者の園」に置かれた13体の石膏像 (C) Lancevortex

また、逃げ遅れた人々の体は火山灰の中で朽ち果てて空洞になって残された。この空洞に石膏を流すことによって当時の姿がそのまま再現された。有名な赤ん坊を抱える母子像や、抱き合ったまま亡くなった恋人像、苦しみもだえるイヌの像などは彫刻されたものではなく、こうして復元されたものなのだ。 

ローマ時代の街並みを歩く

パン屋の石臼

パン屋のパン焼き釜と小麦をひくための石臼。ポンペイにはパン屋が30軒以上確認されている

発掘されたポンペイの街並みはローマ時代の姿をそのままとどめたもの。城壁に囲まれた中心部分は東西約700m、南北約500mほどで、その周囲にいくつかのモニュメントが残っている。ポンペイを歩いていると、紀元1世紀、約2000年も前の遺跡だと思えないほど街並みが美しいことに気づく。

まず、道路や広場の基壇が美しい。幹線道路は石畳で馬車のための轍があり、横断歩道や車止めまで整備されている。家々よりも低い位置にあるのは、道路が排水溝の役割も果たしていたかららしい。神殿の基壇には長方形の石が整然と並べられており、街の主要部分はこのようなプラットフォームの上に建てられていたのがわかる。 
ポンペイのアボンダンツア通り

石畳が美しいポンペイのアボンダンツア通り。2000年前のものとはとても思えない (C) Mentnafunangann

建物は大理石をはじめとする石やレンガやセメントで造られており、すでに現在のイタリアの家々と同じような構造だ。壁にはフレスコ画、床にはモザイク画が飾られていることも多く、彫刻が置かれていたりもする。 

また、街にはあちらこちらに水道があり、浴場や洗濯屋から闘技場や体育場・劇場までそろっている。単に生きるというのではなく、より便利に清潔に、より楽しく美しく、より豊かに幸福に暮らすための工夫がそこここに伺われるのだ。

1世紀といえば日本では弥生時代。車や重機があったわけでもないなかで、ポンペイはこれだけの繁栄を勝ち取った。 

ローマ都市ポンペイの歴史

円形闘技場

約1万5000人収容の円形闘技場。この中で、剣奴同士、野獣同士、剣奴対野獣の闘争が行われた。その様子は出土したレリーフに描かれている ©牧哲雄

ポンペイの街ができたのは紀元前8世紀頃といわれている。ラテン人によって都市国家ローマが成立したのも同時期だ。当時からとても豊かな土地だったようで、麦畑やブドウ園・オリーブ畑で栽培される穀物や果実、港で水揚げされる海産物などによって栄えていた。

やがてローマは重装歩兵を率いてイタリア半島を統一。ポンペイもその支配下に入り、南北イタリアをつなぐ陸海の交通の要衝として発展した。紀元前27年、ローマのオクタヴィアヌスがアウグストゥス(尊厳なる者)の称号を得て多くの要職をおさえると、実質的にローマ皇帝の座につき、いよいよローマ帝国の時代がはじまる。 
ヴェスヴィオ通り

ヴェスヴィオ通り。道路にある3つの飛び石は横断歩道。雨が降ると道路は下水道としても機能した ©牧哲雄

帝国が強大になるにつれ生活は豊かさを増し、労働は各地の戦争で得た奴隷や捕虜が担うようになる。富は地中海中に広がる属州からもたらされ、ローマ市民権を持つ者にはほとんど税も課されず、貧者には食糧が配布され、劇場や闘技場で娯楽も与えられていた。いわゆる「パンとサーカス」だ。

奴隷は鞭打たれ悲惨な労働を担ったのかというと、そうばかりでもなかったようだ。奴隷が富豪の子息の教師になったり、能力を認められて市民権を得る例もあったらしい。といっても闘技場や娼館でわかるように、戦うことを強いられた剣奴や身体を売るための女奴隷などがいたのもまた事実だ。 

ポンペイ遺跡の見どころ

ポンペイの居酒屋

居酒屋。奥のフレスコにはワインや商業の神が描かれている。当時ポンペイには居酒屋やバーが数十から百以上あったといわれている ©牧哲雄

都市遺跡であるポンペイには見どころが無数にあるが、主なものをいくつか紹介しよう。

■フォロ
ローマ時代のフォロ(フォルム)はギリシアでいうところのアゴラで公共広場の意味。人々はここに集い、話し合い、憩いの場ともなっていた。周囲には神殿や市役所・裁判所があり、行政や宗教の中心でもあった。

■神殿
ポンペイには数々の神殿があるが、特に有名なのはフォロの周囲にあるジュピター神殿、アポロ神殿だ。ジュピターはローマ最高神ユピテルの英名で、ギリシア神話のゼウスにあたる。アポロは太陽神で音楽や弓矢の神でもあり、ギリシア神話のアポロンにあたる。これらの神殿の歴史は紀元前6~7世紀までさかのぼるといわれる。
イシス神殿

イシス神殿。イシスはもともと古代エジプトの神で、永遠の処女で純血や癒しを司る。後のマリア信仰につながったともいわれる ©牧哲雄

■バシリカ
フォロに面した列柱廊で、商業取引や裁判所として利用されたようだ。 

■浴場
いくつかの浴場があるが、特に有名なのがスタビアーネ浴場だ。浴場は男性用と女性用にわかれており、さらに冷水・温水・熱水の浴室があり、蒸気で室温を一定に保っていた。浴場には脱衣所や食堂・マッサージ室なども完備されていた。
大体育場

列柱で囲われた緑鮮やかな大体育場

■闘技場・体育場・劇場
円形闘技場は剣奴や猛獣を戦わせ合う娯楽施設。その外には四角形の大体育場があり、イオニア式の列柱廊で取り囲まれている。劇場は半円の大劇場と、オデオンと呼ばれる小劇場があり、人々はここに集って劇を鑑賞した。

■娼館
ポンペイには売春婦を働かせていた娼館がいくつもあった。娼婦たちは娼館の高窓から顔を出し、紳士たちを呼び止めていたという。館内のフレスコ画には数々の性技が描かれている。 

■商店
ポンペイには数多くの商店があった。パン屋には石窯や石臼が残されており、居酒屋ではカウンターや壺を見ることができる。他にも市場や製粉所・洗濯屋なども残されている。
秘儀荘のフレスコ画『ディオニュソスの秘儀』

秘儀荘のフレスコ画『ディオニュソスの秘儀』。豊穣と酒・酩酊の神であるディオニュソス(バッカス)の信仰は一時ローマに禁止されたが、酩酊状態で行う儀式は秘儀として伝えられた (C) gisleh

■秘儀荘/ヴィッラ・ディ・ミステリ
ディオニュソスに仕えるための秘儀を与える場所。数多くのフレスコ画があり、特に深紅で描かれた『ディオニュソスの秘儀』の美しい赤色は「ポンペイ・レッド」として知られている。

■住居
富裕層の住居からそうでない人々の家々まで、さまざまな住居跡を見学できる。有名なのはヴェッティの家やヴィーナスの家、ロレイウス・ティプルティヌスの家、悲劇詩人の家など。富裕層の家には数多くの部屋や回廊があり、内部はフレスコ画やモザイク画・装飾品で飾られている。 

[関連サイト]

エルコラーノとトッレ・アヌンツィアータ、国立ナポリ考古学博物館

ヘルクラネウム遺跡全景

ポンペイの北東12kmほどに位置するエルコラーノに広がるヘルクラネウム遺跡全景 (C) Mentnafunangann

「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」の名にあるとおり、世界遺産にはポンペイの他にエルコラーノとトッレ・アヌンツィアータにあるローマ遺跡も登録されている。また、それぞれの遺跡で発見された出土品の多くは国立ナポリ考古学博物館に収められている。簡単に紹介しよう。

■ヘルクラネウム
エルコラーノにあるローマ遺跡で、当時人口5000人ほどの漁港だったが、裕福な貴族がこの地に別荘を建て、豊かに暮らしていた。ヘルクラネウムの人々の多くは噴火から逃げることができたようだが、ここでも200体以上の遺体が発見されている。

特徴的なのは、ポンペイではほとんど燃え落ちてしまった木材部分が残されている点。炭化したテーブルやバルコニー・梁などが出土しており、住居などもリアルに再現されている。フレスコ画やモザイクの保存状態もよい。
ヘルクラネウムの家

ヘルクラネウムはこのように木の遺構が残されているのが特徴だ (C) Mentnafunangann場

■オプロンティス
トッレ・アンヌンツィアータにあるローマ遺跡で、ポンペイから約5kmの位置にある。当時はポンペイ郊外の田園地帯だったようだが、ネロ帝の妻ポッパェアの別荘と大商人ルキウスの別荘が発掘されている。ポンペイ同様、ヴェスヴィオ山からの火砕流が一瞬で人々の命を奪った。
Oplontis - Parco Archeologico di Pompei(公式サイト。英語/イタリア語。開館情報等ポンペイなどとあわせたチケット

■国立ナポリ考古学博物館
ナポリ王を引き継ぐイタリアの名家ファルネーゼ家とスペイン・フランスの名家ブルボン家が代々集めた美術品を収蔵するために18世紀に建設した王立ブルボン家博物館。この博物館が国立化したのが国立ナポリ考古学博物館だ。ポンペイやヘルクラネウムなどから発掘された出土品が多数収蔵されている。

ポンペイへの道

マリーナ門

右奥がポンペイの入口となるマリーナ門。ヴェスヴィオ周遊鉄道のヴィッラ・ディ・ミステリ駅と門の間の街並み ©牧哲雄

■エアー&ツアー情報
ポンペイ見学の起点となるのはイタリア南部の都市ナポリ。日本からは直行便がないのでローマやミラノなどのイタリア諸都市やロンドン、パリ、アムステルダム、イスタンブールなどを経由する。格安航空券で10万円前後から。ツアーは7日間20万円前後から。

あるいはローマに飛んでから国内線やバス・電車でナポリに移動してもよい。ナポリまで直線距離で約200km。高速鉄道なら1時間15分、特急なら約2時間、バスで3時間程度。

ポンペイはナポリの南東20kmほどにあり、ヴェスヴィオ周遊鉄道で気軽に訪ねることができる。最寄りの駅はポンペイ・スカーヴィ駅で、ヘルクラネウムやオプロンティスも訪問できる。また、ナポリからはさまざまなツアーが出ている。
アラ・マッシマの家

アラ・マッシマの家。家は美しい壁画で覆われており、当時の優雅な生活が垣間見られる ©牧哲雄

■周辺の世界遺産
ナポリ市内には「ナポリ歴史地区」があり、近郊にはポンペイから続く海岸線に「アマルフィ海岸」、ナポリの北約30kmに「カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群」がある。

イタリアは世界遺産の宝庫で、たとえばローマ近郊にも4~5の世界遺産がある。好きな世界遺産をつないで旅を組み立てるのも楽しいものだ。 

ポンペイのベストシーズン

ポンペイの中心である公共広場フォロの列柱廊跡

左がポンペイの中心である公共広場フォロの列柱廊跡、奥の山が標高1281mのヴェスヴィオ山と標高1123mのソンマ山

ナポリの夏の平均最高気温は30度、冬の平均最低気温は5度ほどで、東京に近い。雨は9~4月に多いが、多いといっても東京の冬より少ないくらいなので、あまり心配することはないだろう。

海岸線が近いので、ハイシーズンは夏。ナポリやポンペイはいつでも楽しめるが、アマルフィ海岸やカプリ島といったリゾート地は冬に入るとホテルや観光船が休業していることもあるので、冬に行く場合は事前に確認しておきたい。

世界遺産基本データ&リンク

太陽の神アポロを祀ったアポロ神殿

太陽の神アポロを祀ったアポロ神殿。中央手前が祭壇、左の白い柱は日時計として使われていた

【世界遺産基本データ】
登録名称:ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域
Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata
国名:イタリア共和国
登録年と登録基準:1997年、文化遺産(iii)(iv)(v)

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