世界最古の共和国を支えた「サンマリノ歴史地区とティターノ山」

グアイダ城砦越しに眺めたサンマリノ

ティターノ山の要衝であるグアイダ城砦越しに眺めたサンマリノ。オレンジ屋根の伝統的な家屋が連なっている

イタリア半島からバルカン半島にかけての地域には、ローマ時代から数多の群雄が割拠してきた。そんな中にあって301年から独立を守り抜いた国がサンマリノだ。

天然要塞ティターノ山にはいまでも堅牢な城砦と歴史地区が残されており、眼下にまっ青なアドリア海を見下ろしている。今回はサンマリノの世界遺産「サンマリノ歴史地区とティターノ山」を紹介する。

都市国家とイタリアとサンマリノ

チェスタ城砦から眺めたグアイダ城砦

チェスタ城砦から眺めたグアイダ城砦。ティターノ山の断崖をうまく利用して城壁・城砦を築いている

グアイダ城砦

グアイダ城砦。一時期内部は牢獄として利用されていた

イタリアは世界でもっとも多くの世界遺産を保有する国だ。でも、いったいなぜ?

ローマ帝国が滅び、神聖ローマ帝国が去ってから、19世紀にイタリア王国が誕生するまで、イタリア半島には全体をまとめる「国」は存在せず、それぞれの都市が共和国や王国を名乗って「都市国家」として独立していた(ナポレオンのイタリア王国等の例外あり)。ローマ、ナポリ、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、トリノ、ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどがその一例だ。

それぞれの都市に歴史地区があり、議会や庁舎があり、基幹産業があり、名物があるのは、それぞれの都市が独立した国家だったから。上に挙げたすべての都市に世界遺産があるが、そんな背景があるためなのだ。

こうした都市国家がイタリア王国としてまとまることができたのは、イギリス、フランス、ドイツ(プロイセン)、オーストリアのような強力な「帝国」に対抗する必要があったからだ。諸帝国は大航海時代に世界に漕ぎ出し、貿易や植民地支配で莫大な富を得て、産業革命を通じて都市国家ではたちうちできない力を蓄えており、そのうえオーストリアはイタリア侵攻を企てていた。

 

イタリア王国がイタリア半島のほとんどを統一したあと、イタリアも帝国主義の道を歩むことになる。しかしそうした政策に背を向けて、「自由」のためにひたすら独立を守る都市国家があった。サンマリノだ。

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バシリカ・ディ・サンマリノ

古代ギリシア風の造りが荘厳さを醸し出すバシリカ・ディ・サンマリノ。規模は違うがローマのパンテオンを彷彿させる

サンマリノの城壁

サンマリノはティターノ山の地形を利用した城砦都市。このような城壁が歴史地区を囲んでいる

3世紀末、ローマ帝国ではディオクレティアヌスやマクシミアヌスといった皇帝によるキリスト教迫害が続いていた。この頃、ディオクレティアヌス帝は病にかかり、ダルマチア地方に引退後の宮殿を建築していた。クロアチアの世界遺産「スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿」がそれだ。

一方、ダルマチア・ラブ島出身の石工職人マリノは敬虔なキリスト教徒だったため、迫害を逃れようとイタリア半島の街リミニに来ていた。そしてリミニを見下ろすティターノ山に登ると、山にこもって慎ましい生活を送るようになる。301年、聖マリノの街=サン・マリノ誕生の伝説だ。

10世紀以前のことはよくわかっていないようだが、街には君主を置かず、僧院を中心とする共同体によって治められていたようだ。

 

モンターレ城砦

チェスタ城砦から眺めたモンターレ城砦

やがて外敵から守るためにティターノ山は強力な城壁に守られるようになった。13世紀までにはサンマリノの国旗にも描かれているグアイダ、チェスタ、モンターレという3つの城砦も完成し、14世紀にはサンマリノに現存する最古の教会であるサン・フランチェスコ教会が建てられた。この頃にはすでに議会がふたりの執政官を選ぶ共和制が成立していたようだ。

そしてキリスト教に対するこうした敬虔な態度からか、サンマリノは1631年、ローマ教皇ウルバヌス8世によって正式に独立を認められる。