八十年戦争とオランダ独立

 
ジュニパーベリー

ジュニパーベリー

前回記事(ジン・栄光の歴史1)で、15世紀半ばから17世紀半ばくらいまでの大航海時代に、スピリッツ(蒸溜酒)にジュニパーベリーを加えた酒がたくさんつくられるようになったと述べた。
15世紀のネーデルランド(現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクのベネルクス3国あたりを指す)ではかなり盛んにつくられていたようだ。1495年に出版された書籍には、ジュニパーベリーを取り入れた蒸溜酒レシピが記録されているという。ボタニカルとして、最重要品目であったようだ。
ネーデルランドは宗主国であったスペイン・ハプスブルク家と80年間も戦いつづけた。八十年戦争(1568-1648)といわれるもので、ネーデルランド北部、つまりオランダが独立を果たす。
この間、最前線となった南部アントワープ(ベルギー)から多くの人々が北部(オランダ)へ逃げ、またドイツ、フランス、そしてイギリスへと渡った人たちもいた。つまりやがてジンの国となるイギリスにもジュニパーベリーの香味を抱いた蒸溜酒が伝わっていたということになる。
さらには八十年戦争時、イギリスはオランダ独立支援のために何千人もの兵を派遣した。そのときにイギリス兵は強壮剤的効用のあるこのアルコール飲料を愛し、本国に伝えたのである。これらの動きを裏付ける1615年刊行のイギリスの書籍があり、そのなかでジュニパーベリーからつくる薬品のレシピが紹介されているという。
 

オランダ東インド会社と熱帯病対策

 
ジントニック

ジントニック

これまで、ジンらしきものは11、12世紀頃には存在していたようだ(前回記事ジン・栄光の歴史1参照)、としながらも、ジンの起源は1660年、オランダのライデン大学医学教授シルヴィウス博士が薬用酒として研究、開発したとする見解が一般的だった。だが、事実としては、シルヴィウス教授は植民地の熱病対策のために、利尿効果のあるジュニパーベリーをアルコールに浸漬して蒸溜した利尿剤を大量につくった人物、ということになる。この薬酒がジュニエーブルの名(ジュニパーベリーのフランス語)で利尿、解熱、健胃剤として広まっていったことはたしからしい。
八十年戦争の最中、スペインから圧迫を受けつづけ、香辛料はもとよりさまざまな物流が滞ったオランダが1602年、オランダ東インド会社を設立。インドネシアのジャワ島を拠点として東南アジア貿易をはじめたのだが、シルヴィウス教授の熱帯病対策のため、という意味はここにある。
ジンの原型といわれる、ジュニパーベリーの独特の香味を抱いたアルコール飲料、ジュネヴァの名がはじめてオランダの辞典に登場したのは1672年のことらしい。
さらにジュネヴァに勢いがついたのはイギリスの名誉革命。これにより1689年オランダ総督だったウィリアム3世がイギリス国王として迎えられたことで、ジュネヴァはイギリスでさらに人気を高め、大ブームとなる。そしてイギリスではジンと呼ばれるようになるのだった。
イギリスは1600年に東インド会社を設立しており、オランダとはライバル関係であったはずが、両国の東インド会社がジンを広く世界に伝えていくことになる。
さらには21世紀の今日も、いまだ最強の定番カクテル、ジントニックの誕生につながるのだった。(『ジン・栄光の歴史3/マラリア対策とジントニック』へ)
 

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