医薬品としての蒸溜酒とジュニパーベリー

 
ジュニパーベリー

ジュニパーベリー


近年、世界的にクラフトジンがブームとなっている。これまでジャパニーズクラフトジン「ROKU」、ロンドンクラフトジン「シップスミス」を記事(関連記事参照)で紹介してきたが、今回からしばらくジンの歴史、世界史の中のジン、その長い歩みを語ってみようと思う。
ジンという酒を簡単に説明すると、一般にジンといえばドライジンを指す。ドライジンは連続式蒸溜機で蒸溜したグレーンスピリッツ(麦芽やトウモロコシ、ライ麦などが原料)に、西洋杜松(ねず)の実(ジュニパーベリー)の他、多様なボタニカル(草根木皮)を加えて、さらにポットスチル(単式蒸溜器)でゆっくりと再蒸溜してつくる。独特の風味はジュニパーベリーのもたらす要因が強い。
ジュニパーベリーと酒との関係がはじまったのは11世紀頃といわれている。その頃、イタリアの修道士がジュニパーベリーを加えた蒸溜酒を製造していたと伝えられている。またジュニパーベリーは重宝され、ベースはスピリッツではないが、12世紀には強壮剤として潰したジュニパーベリーをワインにミックスしてつくられたものがあったらしい。
 
ROKU

ROKU

前回記事『蒸溜と「ヘルメスの術」/鳥井信治郎は錬金術師だった』で、錬金術について触れた。地中海地域以外は未開の地であったヨーロッパが、文明化していったのは1096年に“聖地エルサレム奪還”を大義名分としてはじまる十字軍の東方遠征からだった。この遠征から人々の往来活動が活発になり、内陸にも町ができ、文物の流通も盛んになる。
十字軍の遠征はヨーロッパに東方の文物をたくさんもたらした。そのなかにイスラム世界で進化した錬金術と蒸溜器、そしてクマネズミとペスト菌があった。ヨーロッパはそれから何度もペストに見舞われることになるのだが、医学の発達をみない時代、蒸溜酒はペストに効くと信じられ、またジュニパーベリーも病を癒やすと考えられて、重要性が高まる。このふたつの組み合わせは長きにわたり医薬品として医師やヘルメス思想(前回記事参照)に傾倒し蒸溜を学んだ修道士たちが常備するほどであった。つまり中世ヨーロッパにおいては嗜好品ではなかったのである。
 

香辛料を求めた大航海時代に、より価値が高まる

 
シップスミス

シップスミス

現在ジンに使われるジュニパーベリーの大きな産地はイタリアである。しかしながら当時のヨーロッパには広く分布しており、入手が簡単で安価であった。
大航海時代の突入のきっかけのひとつに香辛料の確保があげられる。オスマン帝国が伸張し、1453年東ローマ帝国(ビザンチン帝国)が滅亡。これによりアジアとの交易ルートの中継地であったコンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)を失ってしまう。
ここから海洋へ、船で大海原を航海してインドを目指したのである。
とくに香辛料は陸海のシルクロードを通じてアジアからアラブへと運ばれ、そこからヴェネツィア商人の手を経てヨーロッパに流通していた。そのため価格も異常に高騰。ものによっては取引額が金の価格を上回ることもあったほどだ。
肉料理の調味料としてだけでなく肉の保存のための防腐剤、消臭剤として香辛料は重要な役割を担う。また病気は悪い空気がもたらすものだとされ、香辛料の匂いを嗅ぐことも治療法のひとつになっていた。そして先述したようにジュニパーベリーも治療効果の高いものとして考えられていたため、香辛料不足に陥ったときにはさらに重要性を増したのである。
醸造、蒸溜技術も高くなく、蒸溜器も祖末であった時代。抽出できた蒸溜酒も荒削りであった。そこにジュニパーベリーといったボタニカルが風味として加われば味わいも高まる。やがて嗜好品として愛されるようになったのだろう。だが、現在のジンの原型といえるネーデルランド(現在のオランダ、そしてベルギーのあたり)のジュネヴァの登場までには時間が必要だった。
西ヨーロッパで最初にポピュラーになったスピリッツへと成長し、イギリスでジンと呼ばれるようになるのだが、つづきは次回までお待ちいただきたい。(『ジン・栄光の歴史2/八十年戦争と名誉革命』へ)
 

関連記事

蒸溜と「ヘルメスの術」/鳥井信治郎は錬金術師だった
六[ROKU]ジャパニーズクラフトジンの魅力
日本の四季香るクラフトジンROKU/おいしい飲み方
クラフトジンROKUを生む大阪工場クラフト蒸溜工房
「シップスミス」ロンドンクラフトジン先駆者の思想
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
※メニューや料金などのデータは、取材時または記事公開時点での内容です。