うれしきことかぎりなし
お釜さまと呼ばれた、初代蒸溜器
934年12月27日、紀貫之らの一行は土佐を出発。淀川に入るのは2月7日のこと。ところが減水で漕ぎ悩み、8日からは舟を綱で引きながら進むことになる。
2月11日、ようやく山崎に着き、深く安堵する。貫之はこう綴った。
「やまさきのはしみゆ うれしきことかぎりなし」
淀川、山崎の津は長岡京、平安京の表玄関として出船入船で賑わった港町だった。
さて、紀貫之の土佐出航から990年後、1000年近い歳月が積み重なった1924年、見物人たちから“お釜さま”と呼ばれた不思議な形状をした大きな銅製の器が大阪から川蒸気船に載せられ、山崎に到着することになる。
それは日本のウイスキーのふる里である山崎蒸溜所初の、いや日本初のポットスチルだった。
鳥井信治郎が本格ウイスキーづくりに着手した当時、ポットスチルはまったく未知の釜だった。大阪の渡辺銅鉄工所に制作を依頼したのだが、蒸溜器の不思議な設計図に職人たちはただただ驚いた。
それでも2基の見事なポットスチルが誕生する。高さ5メートル、直径3メートル以上もある大きな釜だった。
大型トラックなど存在しない時代、製作の苦労だけでなく、運搬もひと苦労だった。
今秋、山崎ポットスチル増設
蒸溜所前の現在の踏切
だが、淀川をのぼってくる“お釜さま”の姿は信治郎にとって、「うれしきことかぎりなし」だったに違いない。
その初代ポットスチルの2基のうちのひとつはいま、山崎蒸溜所の敷地内に鎮座し、来場者を迎えている。
今秋増設予定の山崎蒸溜室(撮影すべて川田雅宏)
市場の拡大、とくにヨーロッパを中心に山崎ブランドや響ブランドが年々人気を高めていく中で、未来の多彩多様なモルト原酒貯蔵の充実のために増設は不可欠である。これはウイスキーファンにとっても「うれしきことかぎりなし」。
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