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山崎蒸溜所90周年(3)/土佐日記と山崎

紀貫之は『土佐日記』に、淀川をさかのぼって山崎まで帰り着いた安堵感を綴っている。その約1000年後、日本初のウイスキー蒸溜器が同じように淀川をさかのぼる。そして2013年秋、また新たな動きがある。

協力:サントリー
達磨 信

執筆者:達磨 信

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うれしきことかぎりなし

初代蒸溜器

お釜さまと呼ばれた、初代蒸溜器

日本においてはじめての日記文学といわれている『土佐日記』は935年頃の上梓とされる。土佐国の国司の任(930~934年)を終えた紀貫之が、土佐から京へ帰る55日間を虚構も交えて、しかも歌人らしくほとんどの文字を仮名によって書き上げたものだ。室戸や鳴門海峡を通過する航海記でもある。
934年12月27日、紀貫之らの一行は土佐を出発。淀川に入るのは2月7日のこと。ところが減水で漕ぎ悩み、8日からは舟を綱で引きながら進むことになる。
2月11日、ようやく山崎に着き、深く安堵する。貫之はこう綴った。
「やまさきのはしみゆ うれしきことかぎりなし」
淀川、山崎の津は長岡京、平安京の表玄関として出船入船で賑わった港町だった。
さて、紀貫之の土佐出航から990年後、1000年近い歳月が積み重なった1924年、見物人たちから“お釜さま”と呼ばれた不思議な形状をした大きな銅製の器が大阪から川蒸気船に載せられ、山崎に到着することになる。
それは日本のウイスキーのふる里である山崎蒸溜所初の、いや日本初のポットスチルだった。

鳥井信治郎が本格ウイスキーづくりに着手した当時、ポットスチルはまったく未知の釜だった。大阪の渡辺銅鉄工所に制作を依頼したのだが、蒸溜器の不思議な設計図に職人たちはただただ驚いた。
それでも2基の見事なポットスチルが誕生する。高さ5メートル、直径3メートル以上もある大きな釜だった。
大型トラックなど存在しない時代、製作の苦労だけでなく、運搬もひと苦労だった。

今秋、山崎ポットスチル増設

蒸溜所前の現在の踏切

蒸溜所前の現在の踏切

“お釜さま”はゆったりと淀川をさかのぼってきた。橋本上山崎というところで陸揚げされると、馬に引かせ、地面に並べられた丸太の上を転がしながらの行進となる。最後の難関は蒸溜所前の東海道線だった。汽車の本数が少ない真夜中に踏切を渡るしかない。国鉄(現JR)から20人もの職員が駆けつけて警戒に当たったほどの大がかりな作業となった。
だが、淀川をのぼってくる“お釜さま”の姿は信治郎にとって、「うれしきことかぎりなし」だったに違いない。
その初代ポットスチルの2基のうちのひとつはいま、山崎蒸溜所の敷地内に鎮座し、来場者を迎えている。

今秋増設予定の山崎蒸溜室

今秋増設予定の山崎蒸溜室(撮影すべて川田雅宏)

現在、山崎蒸溜所は初溜器6基、再溜器6基の計12基の体制である。このサイトの読者の皆さんだけにお伝えしよう。90周年となる今年、2013年10月、2対4基が増設され、全8対16基(初溜8基、再溜8基)の蒸溜体制となる。
市場の拡大、とくにヨーロッパを中心に山崎ブランドや響ブランドが年々人気を高めていく中で、未来の多彩多様なモルト原酒貯蔵の充実のために増設は不可欠である。これはウイスキーファンにとっても「うれしきことかぎりなし」。

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