チャールズ・ダーウィン
『ダーウィンはいつも疲れていましたが、その原因は精神的?!』 |
ダーウィンは英国の首都ロンドンの郊外に生まれました。子供の頃より科学に興味を持っていたダーウィンは兄と一緒に小さな化学室を作り、いろいろと実験をして遊んでいました。しかし、お母さんは子供たちがガス爆発を起こして家が吹き飛ばされないか心配でした。
ダーウィンは学校の勉強をさぼりがちで成績は良くありませんでした。このまま怠け者になってしまうのを心配した医者の父親は、ダーウィンに医学校に行くのを薦め、医学生になりました。
しかし、手術を見学した際、血の光景にショックを受けた彼は医学の勉強が嫌になってしまい、今度は、教会の牧師になろうとケンブリッジ大学に行きました。
ビーグル号に乗って世界一周
“種の起源”で進化論を発表
ダーウィンは大学を卒業後、ビーグル号の科学探検隊(1831~1836)に加わり、五年間をかけて、各地の植物、動物を観察したり、標本を採りながら世界一周しました。特に太平洋の孤島ガラパゴス島の風変わりな自然は、彼が進化論を生み出すのに大きな影響を与えました。1859年にそれまでの研究がまとめられ、“種の起源”が発表されました。そこでは進化論と自然淘汰の説が説明されています。“人も猿も先祖は同じ”とは当時の人々の宗教的信念に反していて、大きなセンセーションが巻き起こりました。
航海から帰った後、消えない疲労感
ビーグル号の航海から帰ったダーウィンは体調が優れませんでした。疲れやすく胃腸の悪い状態は一生続いてしまいました。寝たきりに近くなり一日に数時間しか活動できない時もあります。本人は航海中のひどい船酔いのせいだと信じていましたが、検査をしても異常は見つからないので、友人たちは心気症だと思っていました。彼の原因不明の病気は、死後いろいろ取りざたされました。当時、知られていない病気の可能性もあり、ある人は、ダーウィンがアルゼンチンの草原で昆虫の大群に襲われた際にシャーガス病(寄生虫の一種)に感染したと言いました。しかし、ダーウィンの症状とつじつまの合わない点もあり、現在では精神的なストレスが体の症状として現れたのではと考えられています。
ダーウィンの症状は普段はそれほどではなくても、特に進化論の執筆中にひどくなったようです。そのため、彼の“進化論”こそが、ダーウィンにとって大きなストレスとなり、体の症状として現れたと言われています。進化論がダーウィンの病の起源とは意外ですね。
<注>上記の写真は、Charles Darwin: The Power of Place(Amazon.co.jp)から引用しました。
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