▼第二次世界大戦時の英国首相ウィンストン・チャーチル

チャーチル(1874 – 1965)は、第二次世界大戦を勝利へ導いた英国の首相で、2003年の英国での「誰が最も偉大な英国人」のBBCの投票で1位に選ばれています。

彼は、エネルギーに満ち溢れ、鉄の意思で、頑強に戦い抜くイメージとは裏腹に、意外にも、うつ病に苦しんでいました。

まず彼の略歴をまとめてみます。


▼波乱に満ちたチャーチルの生涯

彼は、著名な政治家ランドルフ・チャーチルの息子として生まれました。7歳になると、寄宿舎(ハロー校)へ入り、陸軍士官学校を卒業しました。

その後、マラカンド野戦部隊、ナイル遠征軍などへ従軍し、実際に敵と撃ち合ったことは有名です。

また、南アフリカでのボーア戦争には、モーニングポスト紙の従軍記者として、参加しましたが、敵に捕まってしまいました。何とか、脱走に成功しましたが、彼の首には懸賞金が掛けられました。

この時の、彼の脱走談が、英雄として、彼の名声を高め、1900年に、下院議員として、政界入りしました。格調高い演説が有名ですが、発音障害(Sの音を発音できない)に悩んでいました。

やがて、1917年にはロイド・ジョージ首相の下で軍需大臣となるなど、順調に政界の道を歩んでいたのですが、その後、失脚してしまい、失意の日々を送りました。

しかし、1940年に、ドイツのイギリス侵攻の危機を目の前にして、国民の要望に応えて、英国の首相となりました。当初、戦局は大変不利でしたが、国民を鼓舞し、危機を乗り越え、ヒトラー率いるナチス・ドイツを打倒しました。

1945年に総選挙に破れ、首相を退きましたが、政界に隠然たる勢力を張り、1951年には77歳で首相に返り咲きました。

ノーベル文学賞を第二次世界大戦の回想録で受賞するなど、数々の栄誉に輝き、91歳で亡くなられたときには、国葬となりました。


▼チャーチルの内なる恐れ?悲劇的な父の死

父親のランドルフの悲劇的な死は、チャーチルに暗い影を落としていました。ランドルフは、徐々に健康に蝕まれ、うつ症状、痴呆症状を呈し、最後は、完全に、精神に異常を来たして、45歳で亡くなりました。

また、チャーチルの父親の一族には、うつに苦しみ、早死にされた人が多く、チャーチルも父親のような運命をたどるのを非常に恐れていました。チャーチルが40歳を迎えたとき「40歳になってしまった。俺はもうおしまいなのか?」と言ったそうです。


▼チャーチルの黒い犬

チャーチルは、生涯、うつ症状に苦しみ、うつを黒い犬と呼んでいました。彼が周囲の人を驚かしたエピソードですが、1904年、国会での演説中、突然、言葉を失い、混乱した様子で、手で顔をおおい、椅子に座り込んでしまい、「私の話を聞いてくれて、どうもありがとう」と小さい声で呟きました。

周囲の人には、その姿が、彼の父親にだぶってしまい、「とうとう息子もか」という印象を与えてしまいました。この後、チャーチルは、うつ状態になり、「神経に異常を来たした」という噂が流れましたが、幸い、回復しました。しかし、その後、生涯にわたり、幾度となく、うつ状態に襲われるようになりました。

チャーチルの精神症状は、今日では、「躁うつ病」であると考えられています。躁うつ病はハイとロウの気分の振幅が激しいのが特徴で、ハイの時には、睡眠は必要なく、気分は高揚し、何でもできるような気分になります。戦争中、彼が、超人的に働き続けられたことも、うなずけますね。


「躁うつ病」についてもっと知りたい方は
気分障害(うつ病・躁鬱病)のリンク集をチェックしてみてください。


<注>上記の写真は、Memoirs of the Second World War: An Abridgement of the Six Volumes of the Second World War With an Epilogue by the Author on the Postwar Years Writt(Amazon.co.jp)から引用しました。


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