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ジャパニーズは世界のウイスキーとなるか3(2ページ目)

今回はアメリカの禁酒法時代、スコッチ、カナディアン、ジャパニーズがどういう状況にあったかを述べる。禁酒法の影響による盛衰には興味深いものがある。スコッチの陰の部分も見えてくる。

協力:サントリー
達磨 信

執筆者:達磨 信

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衰退したキャンベルタウン

1920年代、30年代のスコッチウイスキーは禁酒運動、増税、不景気に見舞われながら、なんとか荒海を航海していた。その中、アメリカの禁酒法に乗じて密輸ビジネスに手を染め、衰退してしまったスコッチもある。
アーガイル地方、キンタイア半島にある小さな町、キャンベルタウンのウイスキーだ。いまスプリングバンクというシングルモルトの名品があるが、現在稼働中としてよく知られている蒸溜所はそのスプリングバンク、グレンスコシア、グレンガイルの3つ。

19世紀末のキャンベルタウンには20を超える蒸溜所があり、繁栄を誇っていた。香味特性はヘビー、オイリー、パワフル。ただその強い個性が災いした。ブレンダーたちの関心がスペイサイドモルトへと向けられ、次第にブレンデッドウイスキーへの貢献度が弱まっていく。そして地元の石炭が枯渇し、直火蒸溜に使う燃料代が高騰したことから翳りがはじまる。
アメリカで禁酒法がはじまるとついには密輸ビジネスに多くの蒸溜所が手を染める。品質を無視して早く低コストでつくるという手段に出たため、キャンベルタウンは一気に評判を落とし、衰退してしまった。
キンタイア半島のいくつもの入り江から霧に乗じて密輸船が出ていった。もし衰退がなかったならば、ポール・マッカートニーは『マル・オブ・キンタイア』
(ゲール語のマルは、岬のこと)の歌詞の中で、ウイスキーに触れていたかもしれない。

1934年、ジャパニーズ初輸出

2003ISCで山崎12年が金賞受賞
2003ISCで山崎12年が金賞受賞。ノーブルとの評価を得、世界が注目するようになる。
さてアメリカの禁酒法とジャパニーズウイスキーの関係はどうだったか。実は関わりがあった。
1934年(昭和9)、禁酒法解禁まもなくのアメリカへサントリーウイスキーが初輸出されている。角瓶誕生の3年前のこと。山崎蒸溜所が10年を越えて熟成モルト原酒も個性と深みを増した頃。日本でも徐々にウイスキーが認知され、消費量も年々増してきた頃だった。
初輸出にはアメリカ側から要請があった。解禁とともに酒の需要は堰を切ったように上昇。ウイスキーはいくらでも欲しかった。とはいえ、ジャパニーズウイスキーの存在を海外にしらしめる歴史的第一歩はアメリカの禁酒法にあった訳である。

5大ウイスキーと呼ばれる中で、唯一ケルトの血統のない国が日本だ。そして他の国々が何らかの政治的要因があって興隆をみたのに対し、ジャパニーズだけはいま地道な歩みによって品質を高め、世界で高い評価を得ようとしている。面白いではないか。素晴らしいではないか。
このシリーズはあと1回、4までつづく。

前回の「ジャパニーズは世界のウイスキーとなるか2」も是非お読みいただきたい。

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