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ジャパニーズは世界のウイスキーとなるか2

シリーズ2回目は、スコッチはどんな流れで世界の酒となったかを述べる。視点をあえてアイリッシュウイスキーに向けて、アイリッシュの動きからスコッチを語ってみた。面白い歴史だよ。

協力:サントリー
達磨 信

執筆者:達磨 信

ウイスキー&バーガイド

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アイルランドから見たスコッチの興隆

タラモアデュー
アイリッシュを代表するブランドのひとつタラモアデュー
前回、シングルモルトウイスキー山崎が海外で飲まれはじめていると書いた。今回は、圧倒的シェアを誇るスコッチウイスキーがどういう流れで世界へ羽ばたいたのかを述べる。スコッチウイスキーは20世紀になってから急激に伸長したが、それ以前はアイリッシュの天下だった。今回はあえてそのアイリッシュ視点で話をすすめる。
1649年、ピューリタン革命の中心人物、イングランドのクロムウェルにアイルランドは征服されてしまう。ここからアイルランドの厳しい道のりがはじまる。イングランドにとっては山岳地帯が多く、反骨精神旺盛な人間ばかりでよくわからんスコットランドより、海をちょっと隔てたアイルランドのほうが制圧しやすかった。
クロムウェルはアイルランドのカトリック教徒を徹底的に弾圧し、土地のほとんどを没収。イングランド人の寄生地主、あるいは不在地主と呼ばれる輩が威張り散らす体制を築いた。アイルランドが大英帝国に併合されたのは1801年だが、まあ辛い時代がずっとつづいていたと思えばいい。
アイリッシュウイスキーに関していえば、イングランドの圧政を受けながらも、またそれゆえに産業としての成り立ちはスコットランドなんかよりははるかに早い。グレートブリテンを構成するカナダ、オーストラリア、南アフリカ、インドなど、それに加えて新興国アメリカといった国々にアイリッシュウイスキーは輸出されていく。皮肉だがイングランドのおかげでアイリッシュは伸びたともいえる。

大英帝国の商圏から締め出されたアイリッシュ

ところがスコッチのブレンデッドが開発され、ヨーロッパのぶどうが害虫フィロキセラにやられはじめた1860年代以降、おかしくなりはじめる。ただそれでもアイリッシュは人気を誇っていた。
ガチョーンとばかり落ち込んだのは、1919年からの独立戦争、翌20年からのアメリカの禁酒法施行からだ。1922年にアイルランド自由国憲法が採択され、南部26州と北部6州に分かれる。イギリスは面白くない。やがてグレートブリテンの商圏から完全に締め出されてしまう。とくに人気の高かったアメリカでは禁酒法下でアイリッシュの偽ラベルを貼った粗悪品が出回り、イメージが低下。これも大きな打撃だった。
第2次世界大戦中は中立の立場を取り、輸出ではなく国内消費優先策で進んだ。イギリスのほうはスコッチの国内消費を抑えて輸出策を取り、とくにアメリカ兵のいる戦線ではスコッチ有りとなり、消費大国アメリカでは戦後、スコッチが大人気となる。
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