『深夜特急』『豊饒の海』抜粋

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ベナレスの街中2
ベナレスの大通り。客を乗せた自転車をリキシャーという。日本の力車が19世紀後半からアジア中に広がったもののひとつと言われる。©牧哲雄


ベナレスの夜景
ベナレスの夜景。©牧哲雄

「先日、ガンジス川の下流の鉄橋の付近を歩いていると、やはり不意に灰色っぽい塊りが浮いてきた。その時もやはり烏が舞い降り、激しく嘴を上下しはじめた。なんだろうと不思議でならなかったが、あれもまた死体だったのだ。石に縛りつけられ、河底に沈められた死体が、縄が腐り、あるいは解け、突然浮き上がってしまうのだ。そして、その腐乱した肉を烏がついばむ。
再び死体焼場に眼をやると、真新しかった一体もすっかり黒くなっていた。痩せた男が素焼きの壺にガンジスの水を汲み、まだくすぶっている火の中に投げ入れる。それは火を消すことが目的ではなく、一種の儀式という色彩が濃かった。さらに、男は一本の長い青竹を手にすると、燃え尽きた薪の中に突っ込み、黒焦げの塊りを引き出した。人体だったことは頭部の膨らみでわかる。炎の温度が低いせいか、骨だけにはならず、まだ焦げた肉がついている。男はその塊りを青竹に引っ掛け、台地の下に放り出そうとする。だが、当然、一本ではなかなか持ち上げられない。何十回か失敗したあとでようやく引っ掛かり、エイッとばかりに放り投げると、それは力余ってガンジス河にまで飛んでいってしまう。水に浮いた黒い塊りに烏が舞い降りて、ついばみはじめている。……。
しかしこの死体焼場で、私の眼に異様に映ったのは烏ではなく、むしろ牛だった。この沐浴所にも野良牛がうろついており、台地の上から死体を焼く煙が流れてくると、口を開け、眼をさらに細め、首を前に突き出して恍惚とした表情で匂いを嗅ぐのだった。
私は、一日中、死体焼場にいて、焼かれたり、流されたりする死体を眺めつづけた」
(沢木耕太郎『深夜特急3』新潮文庫より)

「すべてが浮遊していた。というのは、多くのもっとも露わな、もっとも醜い、人間の肉の実相が、その排泄物、その悪臭、その病菌、その屍毒も共々に、天日のもとにさらされ、並の現実から蒸発した湯気のように、空中に漂っていた。ベナレス。それは華麗なほど醜い一枚の絨毯だった。千五百の寺院、朱色の柱にあらゆる性交の体位を黒檀の浮彫であらわした愛の寺院、ひねもす読経の声もひたすらに死を待っている寡婦たちの家、住む人、訪う人、死んでゆく人、死んだ人たち、瘡だらけの子供たち、母親の乳房にすがりながら死んでいる子供たち、……これらの寺々や人々によって、日を夜に継いで、喜々として天空へ捧げられている一枚の騒がしい絨毯だった」
「マニカルニカ・ガートこそは、浄化の極点、印度風にすべて公然とあからさまな、露天の焼場なのであった。しかもベナレスで神聖で清浄とされるものに共有な、嘔吐を催すような忌わしさに充ちていた。そこがこの世の果てであることに疑いはなかった。
…中略…
屍は次々と火に委ねられていた。縛めの縄は焼き切れ、赤や白の屍衣は焦げ失せて、突然、黒い腕がもたげられたり、屍体が寝返りを打つかのように、火中に身を反らしたりするのが眺められた。
…中略…
ここには悲しみはなかった。無情と見えるものはみな喜悦だった。輪廻転生は信じられているだけではなく、田の水が稲をはぐくみ、果樹が実を結ぶのと等しい、つねに目前にくりかえされる自然の事象にすぎなかった。それは収穫や耕耘に人手が要るように、多少の手助けを要したが、人はいわば交代でこの自然の手助けをするように生れついているのだった。
インドでは無情と見えるものの原因は、みな、秘し隠された、巨大な、恐ろしい喜悦につながっていた! 本多はこのような喜悦を理解することを怖れた。しかし自分の目が究極のものを見てしまった以上、それから二度と癒やされないだろうと感じられた。あたかもベナレス全体が神聖な癩にかかっていて、本多の視覚それ自体も、この不治の病に犯されたかのように」
(三島由紀夫『豊饒の海(三)暁の寺』新潮文庫より)

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