ブルージュ(ブルッヘ)運河の街はまるで屋根のない美術館

愛の泉公園

もともとは港としてブルージュを支えていた愛の泉公園。右が16世紀に立てられた水門の家で、左にわずかに見えるのがノートルダム教会

「水の都」「北のベネチア」「屋根のない美術館」等々、数々の異名を誇るベルギーの古都ブルージュ。今回は中世ヨーロッパのかわいらしい街並みが堪能できる世界遺産「ブルージュ歴史地区」を紹介する。

実は、「ブルージュ歴史地区」の中にはさらにふたつの世界遺産「フランドル地方のベギン会修道院」と「ベルギーとフランスの鐘楼群」の一部がある。3つの世界遺産を一気に楽しむ旅はいかが?
   

いまも残る中世そのままの街並み

マルクト広場と鐘楼

マルクト広場と鐘楼。右にそびえる鐘楼は別の世界遺産「ベルギーとフランスの鐘楼群」にも選ばれている

まっ青な空を映した空より深い青。深い青に染まった愛の泉では、その名のとおりまっ白な白鳥が求愛のダンスを踊っている。

水と戯れる姿がとても気持ちよさそうだったので、自分も運河に下りて船で街を巡ってみる。家々を見上げれば、オレンジ色にとがった切妻屋根、階段状のかわいらしい破風、レンガ造りの白壁が、空の青にとてもよく映えている。
マルクト広場の家並み

フランドル地方の典型的な街並みを見せるマルクト広場の家並み。特に屋根と破風が特徴的だ

街で目立つのは美術館や博物館・教会に、いたるところで見掛けるチョコレート屋さん。何より「自由」を愛した中世ブルージュの人々は、自由から「文化」を生み出してファン・エイクやメムリンクといった芸術家たちを輩出し、おいしいチョコレート屋さんを育んだ。
 

水陸で楽しもう! ブルージュの街歩き

ファン・エイク広場周辺

運河が止まるファン・エイク広場周辺。左がポールテルス・ロッジで、ここから船を監視した。家々は当時の商人たちが建てたもの

ブルージュは歴史地区一帯がまるごと世界遺産に登録されている。歴史地区や旧市街を楽しむコツはなんといっても街歩き。観光地を点と点で結んでいたのでは街の空気はつかめない。自由に街を歩き回ってみよう。

覚えておきたいのは2点。1点は、歴史地区が運河に囲まれているところ。運河沿いに戻ってくれば迷うことはない。もう1点は、中心がマルクト広場であること。街の中心だけあって歴史的に重要な建物が多い。でもまぁなんとなく歩いていればそんなことも自然とわかる。マルクト広場から道路が放射状に延びているのだから。
ブルージュ郊外の風車

風車はオランダだけでなくベルギーでもしばしば見られる。写真はブルージュ郊外にて

街歩きと並んでオススメしたいのが運河巡り! 街のあちらこちらに船着場があって運河ツアーを催行している。街並みはもちろん、ブルージュの名のもとになった石造りの古い橋が空に弧を描く様がなんとも美しい。ブルージュが「水の都」であり「橋の街」であることも、運河巡りをしなくちゃわからない。
 

ブルージュと3つの世界遺産

ペギン会修道院

林の中にたたずむペギン会修道院。円状のレンガ壁で覆われており、かつては夜には男子禁制となった

世界遺産「ブルージュ歴史地区」の中心、マルクト広場にある鐘楼(時を告げる鐘を吊るす建物)は、フランドル地方に特徴的な55の鐘楼を登録する「ベルギーとフランスの鐘楼群」のひとつにも数えられている。内部見学可能なので、その複雑な時計仕掛けを見学してみよう。
高さ83mの鐘楼

高さ83mの鐘楼。昇ればブルージュ全域が見渡せる

さらに、マルクト広場の南西にはベギン会修道院がある。修道院と訳されてはいるものの、実はここで暮らしたのはシスターではなく一般の女性。戦争が絶えなかったフランドル地方にあって、夫を戦場に送り出した妻たちはペギン会修道院に集って女子だけで共同生活を行った。 

この独特のシステムから、フランドル地方の13のベギン会修道院が「フランドル地方のベギン会修道院」として世界遺産登録されている。
 

マリーに贈られた世界最初のダイヤモンド婚約指輪

ノートルダム教会

マリーと父シャルルが眠るノートルダム教会。13世紀から建築がはじまり、高さは122m、レンガ造りの建物としてはヨーロッパ一という声も

ロマンティックなお話をひとつ。

ブルージュにはあちらこちらに女性像が立っている。「ブルゴーニュのマリー像」で、ブルゴーニュ公国最後の君主でもあった絶世の美女マリーをかたどったものだ。彼女は美女の中の美女と称えられ、人々からは「われらが姫君」と呼ばれ愛された。

当時ヨーロッパ中の富が集まっていたフランドル地方を治めるブルゴーニュ公国の公女で、絶世の美女。ということで、ヨーロッパ中の王や王子たちが自分や一族との結婚を求めて列をなした。そんなひとりがハプスブルク家のマクシミリアンだ。マクシミリアンはマリーが12歳のときに求婚するが、残念ながら破談となってしまう。

1477年、マリーの父シャルルがフランスとの戦いで戦死すると、フランス王ルイ11世は公国に軍を進め、跡を継いだマリーに息子シャルルとの結婚を迫る。マリーはこれを拒否すると、フランス側に寝返った商人たちに事実上幽閉されてしまう。
ノートルダム教会の聖母子像

中央が、ミケランジェロがブルージュを訪れて彫ったといわれるノートルダム教会の聖母子像

これを救ったのがマクシミリアンだった。もともとはマリーの父が決めた婚約相手。この話の再燃をマクシミリアンが受け入れて、ふたりは無事結婚に至る。このときマクシミリアンは、自分とマリー、そして聖母マリアの頭文字Mをダイヤモンドでかたどった指輪をマリーに贈る。これが世界初となるダイヤモンドの婚約指輪だった。 

ふたりは仲むつまじく、どこに行くにも連れ立ったという。ところが1482年、マリーは落馬事故で突然亡くなってしまう。マクシミリアンはこのあとハプスブルク大帝国の基礎を築いたが、その心はつねにマリーのもとにあったという。

37年後の1519年、マクシミリアンが亡くなると、遺体はオーストリアのヴィーナーノイシュタットに埋葬されたが、その心臓だけはブルージュに送られて、ノートルダム教会のマリーの棺の中に埋葬された。
 

運河を優雅に飾る白鳥とマクシミリアンの伝説

ブルージュの白鳥

ブルージュのあちらこちらで羽を休める白鳥たち

中世からの歴史が続くブルージュには、いたるところに伝説が伝わっている。

愛の泉をはじめ、運河のあちらこちらで見かける白鳥たち。愛くるしい姿でブルージュの街を彩っているが、実ははじめて白鳥を持ち込んだのが先に紹介したマクシミリアンだったという。

マリーの死後、その遺言によってブルゴーニュ公国を治めたマクシミリアンだったが、神聖ローマ帝国に組み込まれることを恐れた貴族たちはマクシミリアンを裏切り、ルイ11世に接近。ついに彼を捕らえるとブルージュのクローネンブルク・ハウスに幽閉し、部下たちの処刑を見せつけたという。その中のひとりがピエールで、ピエールの家紋が白鳥だった。
馬車と市庁舎

馬車と市庁舎。1階には「ブルゴーニュのマリーの死」が掲げられている

マクシミリアンはブルゴーニュ公を退位してこの地を去るが、やがて神聖ローマ皇帝となってふたたびこの地を支配すると、ピエールを弔うと同時にフランドルの人々にその所業を忘れさせぬよう白鳥を放ったという。

マクシミリアンの復帰以来、ブルージュは自治権を制限され、商人たちはアントワープに拠点を移しはじめ、没落の時代へと移行する。
 

屋根のない美術館の屋根ある美術館

橋とノートルダム教会

「ブルージュ」はもともと「橋」の意味。古い橋が多いのもまた魅力。石橋の向こうに見えるのはノートルダム教会

自由都市ブルージュは芸術を愛し、アーティストたちを庇護したことでも知られている。有名なところでは、フランドル画派のファン・エイクやメムリンク、ピーテル・ブリューゲルやルーベンス、フランドル楽派ではオブレヒト、ジョスカン・デ・プレ、クレメンス・ノン・パパらがいる。ここではぜひ訪れたい「屋根ある」建物を紹介しておこう。

■ノートルダム教会
イタリア国外で見るのは非常に珍しいミケランジェロの作品「聖母子像」があることで世界的に有名。先述したマリーと父シャルルの墓もここにある。

■聖血礼拝堂
12世紀に第2回十字軍に参加したフランドル公が持ち帰ったとされるキリストの血=聖血が収められている。春の昇天祭ではこれを収めた箱を掲げて練り歩く。この「聖血の行進」はブルージュ最大の行事として親しまれている。

■市庁舎
1420年竣工で、ブルージュでもっとも古いといわれる建物。見所はマホガニーを多用したゴシック式のホールと数多くの壁画や絵画。

■メムリンク美術館
ベルギーの至宝「聖ウルスラの聖遺物箱」収蔵。キリスト教を愛した聖ウルスラが、1万余の処女を引き連れてローマ巡礼に出かける様子が描かれている。他にも「聖カトリーヌの結婚」など、メムリンクの数々の作品を見ることができる。 

■グルーニング美術館
フランドル絵画から現代絵画まで幅広いコレクションを持つ。目玉はファン・エイクの「ファン・デル・パーレの聖母子」。他にメムリンクの作品などもある。

■ブランギン美術館
フランドル地方はもともとリネン(亜麻織物)で栄えた。高級なレースになると城が買えるほどで、ヨーロッパ中の王たちがこれを求めた。伝統的なレースを飾っているのがこちら。
 

中世ヨーロッパをリードしたフランドルの歴史 前編

マルクト広場の鐘楼と州庁舎

マルクト広場。右が鐘楼で左が州庁舎。松田聖子が歌った「ブルージュの鐘」の舞台はもちろんここだろう

ベルギー、フランス北部、オランダ南部周辺をフランドル(フランダース)地方という。中央を流れるスヘルデ川でとられる亜麻から作られたリネンが特産物で、のちの時代にはその技術を活かして毛織物などでも世界最高の技術を誇った。

やがて商人たちがこの地に集まるようになり、13世紀にはハンザ同盟の四大在外商館のひとつがブルージュに置かれると、ヨーロッパを代表する貿易拠点に成長した。その後、世界最初の両替所が作られて、ブルージュ、のちにはアントワープが世界の金融センターとなる。

ここまで成長した理由のひとつが「自由」。フランドルは時代時代に君主を変えるが、しかしどこに所属しようと自分たちの土地は自分たちで治める自治権を持っていた。国家の意向によらず、自由な貿易を認めたフランドルの心意気がこの隆盛を生んだ。
ホテルのエントランス

エントランスの上には乳搾りの彫り物。ほとんどの市民が字を読めなかったため、こうして家を区別した

一方、世界各国の国王たちはこの土地を手に入れるためにあらゆる策略を巡らせる。特に隣国フランスと神聖ローマ帝国は何度も軍を進め、あるいは政略結婚を画策し、その承諾を迫る。

そんなフランドルの雲行きが怪しくなったのが、先のマクシミリアン以降だ。 

マクシミリアンは神聖ローマ皇帝にマクシミリアン1世として即位すると、ふたたびフランドルの土地を手に入れる。ブルージュの自治権が彼に制限されると、金融センターとしての役割をアントワープに奪われ、さらにブルージュの命綱だった運河と港が北海からの砂で埋まり、ついに貿易拠点としての座も失ってしまう。 
 

中世ヨーロッパをリードしたフランドルの歴史 後編

鐘楼からの眺め

鐘楼からの眺め。鋭い角度で立ち上がるオレンジ色の屋根屋根が広がっている

そのアントワープも、ハプスブルク家による自治権の制限と重税のために苦しみ、やがてオランダ独立の原因となる八十年戦争を戦うと戦場となって荒廃し、その座をアムステルダムに譲ることになる。これ以後フランドル地方は西欧でも最貧地区のひとつにまで落ちてしまう。

ブルージュがふたたび脚光を浴びるのは約400年後、新聞フィガロにローデンバッハの小説『死の街ブルージュ』が連載されてから。急速に衰退したために街は中世そのままに保存され、旅行ブームに乗って一大観光都市として注目を集めることになった。

マクシミリアンのその後も書いておこう。マクシミリアンは「戦争は他家にまかせよ。幸深きオーストリア、汝結婚せよ」と結婚政策を押し進め、孫でマクシミリアンの後を継いだカール5世はスペイン王につき、そのスペインは北・中・南米大陸を支配。さらにカール5世の弟フェルディナンド1世がハンガリー王、ボヘミア王に君臨し、ハプスブルク家は「日の沈まない国」を成立させて実質的に世界を支配する。
鐘楼を見上げる

上の写真「鐘楼からの眺め」に写っているある場所から逆に鐘楼を見上げる

カール5世はベルギーのゲント生まれだった。また、祖母はあのマリー。フランドルの血を引き、フランドルで育った皇帝だったが、彼はそのフランドルに重税をかけ、軍を進めて街を破壊した。

戦争に明け暮れた彼はやがて精神を疲弊し切ってしまうと、すべての地位を息子フェリペ2世と弟フェルディナント1世に譲り、自分はユステの修道院にこもって晩年をすごしたという。
 

ブルージュへの道

マルクト広場

マルクト広場、鐘楼正面の家並み。レストランになっていて、軒先で食事が楽しめる

■エアー&ツアー情報
ベルギーの玄関口は首都ブリュッセル。日本からの直行便はないが、ロンドン、アムステルダム、フランクフルトなどを経由するさまざまな便がある。格安航空券で10万円前後から。ツアーは多種多様で20万円前後から。

あるいはユーロスターやタリスなどの特急電車を用いれば、ロンドン、パリ、フランクフルト、アムステルダムなどから陸路で簡単にアクセスすることができる。いずれも2~3時間程度。 
風情ある街並み

何気ない街並みにもとても風情がある

■周辺の世界遺産
すでに紹介したとおりブルージュには3つの世界遺産がある。さらに、ブリュッセルには「ブリュッセルのグラン・プラス」「建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅群」「ストックレー邸」という3つの世界遺産もある。ヨーロッパは世界遺産が密集しているのでルート作りを考えるだけでもおもしろい。
 

ブルージュのベストシーズン

ライトアップされたブルージュ

ライトアップされたブルージュ。運河クルーズの出発点としてとても有名な場所

ブルージュの夏の平均最高気温は23度前後、冬の平均最低気温は0度前後。東京に比べて毎月3~7度ほど低い。降水量は日本の冬程度。

東京の北緯36度に対してブルージュは北緯50度を超え、そのため夏は昼が長く、冬は夜が長い。冬は東京より寒くもあって夏の旅行が人気だ。
 

世界遺産基本データ&リンク

ペギン会修道院の建物群

白壁にオレンジ屋根が特徴的。ペギン会修道院にて

【世界遺産基本データ】
登録名称:ブルージュ歴史地区
Historic Centre of Brugge
国名:ベルギー王国
登録年と登録基準:2000年、文化遺産(ii)(iv)(vi)

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