リンカーン大統領とバーボン
ノブクリーク
前回記事『バーボンとミシシッピ川とサラブレッドのおいしい話』では、ケンタッキー州のオハイオ川の河川港から、粗末な木造船に樽詰めしたバーボンを積み込み、川を下っていったことを述べた。タバコや麻なども特産品として南へ送られた。
オハイオ川からミシシッピ川を下り、ニューオーリンズへと物資を運んだひとりに第16代大統領エイブラハム・リンカーンの父、トーマス・リンカーンがいる。トーマスは若い頃はさまざまな職を転々とし、蒸溜所で樽職人をやっていた時期もあるようだ。
エイブラハムは1809年、ケンタッキー州の現ラルー郡に生まれた。その頃には父トーマスは農場主としてそれなりの地位にあった。1811年、ルイビルの南、エリザベスタウン近くのノブクリーク農場に引っ越し、1816年末に土地所有権のトラブルでイリノイ州に移り住む。後年、エイブラハムは幼少期を過ごしたノブクリークでの約5年間をとても懐かしんでいる。
ケンタッキー州出身の第16代大統領に敬意を表し、この地の名を冠したバーボンがある。クラフトバーボン「ノブクリーク」。偉大な解放者と呼ばれ、エイブの愛称で21世紀のいまなお高い人気を誇る大統領のように、力強く、リッチな甘みで飲む者のこころをあたたかく抱き、魅了する。
前回記事で述べたように、おそらくトーマスも、息子が誕生する以前にはニューオーリンズでバーボンや他の特産品を売り、また筏(いかだ)同然の木造船を解体してその材も売る、という効率の良い商売をしたことだろう。
アメリカからスペイン、イギリスと巡ったホワイトオーク
山崎スパニッシュオーク2020 EDITION
スペイン本国に戻ったときに、バラストのホワイトオークに目をつけたのがシェリー商人たちである。スパニッシュオークよりも樽に加工しやすく、シェリーを詰めてみると漏れにくい、しかも熟成効果も好ましい。貯蔵樽として最適であることがわかったのだ。
つまり、ミシシッピ川を下ってきた粗末な木造船もホワイトオークだった訳で、解体した材をスペイン人が買ってくれたのだった。すでに19世紀初頭には、スペインのシェリー商たちのホワイトオークのストックは潤沢だったといわれている。
ホワイトオークの樽に詰められシェリーは、シェリーを愛するイギリス(現在も最輸入国)へと輸出された。そしてその空き樽でスコッチウイスキーは熟成するようになったのである。バーボンの流通から、シェリー、スコッチウイスキーへとつながったのである。
いまもシングルモルトにおいて単にシェリー樽熟成とある場合は、その樽材はホワイトオークと考えてよい。「ザ・マッカラン」がスパニッシュオークでのシェリー樽熟成にこだわるのは、スパニッシュオークならではの熟成効果を愛する故のもの。またサントリーはホワイトオークとスパニッシュオークのシェリー樽の両方を使い分けている。それぞれの樽種での熟成効果を期待するとともに、香味特性の異なるモルト原酒を豊富に揃えることに努めている。
昨年の記事『いま、バーでおすすめシングルモルト・後編』で紹介した「シングルモルトウイスキー山崎スパニッシュオーク2020 EDITION」は、シェリー貯蔵後のスパニッシュオークの樽で熟成させたモルトウイスキーである。ホワイトオークのシェリー樽熟成ではない、と明示したものだ。
アメリカからスペインへ、スペインからイギリスへ、ホワイトオークが巡り巡ったという歴史がある。
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