世界でもっとも有名な塔、ピサの斜塔の斜めぶり

世界遺産「ピサのドゥオモ広場」の大聖堂、鐘楼、小噴水の天使像

世界遺産「ピサのドゥオモ広場」の大聖堂(左)と鐘楼=ピサの斜塔(右)、小噴水の天使像 (C) Mstyslav Chernov

世界に塔は数あれど、もっとも有名な塔といったらピサ大聖堂の付属鐘楼(鐘を鳴らすための塔)、「ピサの斜塔」だろう。

写真で見ても明らかなように、ハッキリと南側に傾いている。ピサ大聖堂の公式サイトによると現在の傾きは5~5.5度で、頂上は真っすぐの状態より4mほど南にズレているという。

それだけではない。
ピサの斜塔の傾きと曲がり

ピサの斜塔。傾いているだけでなく、塔の数か所が曲がっている

よく見ると、下から3~4層目までの下層とその上の層では角度が変わっており、「ノ」の字のように湾曲しているうえに、頂上部は水平に近い。実際中に入ってみると、下の階ではかなり傾きを感じるし、丸い物がコロコロと転がっていくのに対し、頂上ではほとんど物も転がらないのだ。

なぜピサの斜塔はこんないびつな形になってしまったのだろう?

ピサの斜塔はなぜ傾いてしまったのか?

東側から眺めたピサの斜塔、大聖堂

東側から眺めたピサの斜塔と大聖堂。斜塔を支える写真は人が少ない東側からがオススメ

実は、ピサ近郊にはサン・ニコラ教会の鐘楼や下の写真のサン・ミケーレ・デッリ・スカルツィ教会の鐘楼のように斜めになってしまった建物が少なくない。理由は地盤だ。

もともとピサはアルノ川とセルキオ川の合流地点に造られた町で、湿地帯が広がっており、当時は海もすぐ側にあった。このため地盤は水分をよく含む砂や粘土の層が中心で、非常にもろく不安定なものだった。

ピサの斜塔の建設は1173年に開始されたが、工事開始後まもなくから地盤が沈みはじめ、塔が北側に傾いた。しばらく工事を進めていると、今度は反対側が沈み込み、南側に大きく傾いてしまった。結局、傾いたまま4層目の真ん中ほどまで建てたところで、予算不足によって工事は中止されてしまう。
サン・ミケーレ・デッリ・スカルツィ教会の鐘楼

左がサン・ミケーレ・デッリ・スカルツィ教会の鐘楼。左に傾いているのがわかる

約100年後の13世紀後半に工事は再開されるが、傾いた下層はそのまま維持し、沈み込んだ南側に大きな石、北側に小さな石を積み重ねることで水平にしてから層を重ねた。このため途中で角度が変わる「ノ」の字型の湾曲が生まれた。この工事中にも傾きは増し、第7層まで建設されたところで再び工事は中止された。

結局、完成したのはさらに約100年後の1372年のこと。当初は100メートルを超える高さを予定していたが、塔が不安定であったことから第7層までで完成とし、頂上に鐘を収める鐘室が取り付けられた。このとき第7層も傾いていたため、頂上の北側のステップを4段、南側のステップを6段にすることで高さをそろえている。

ちなみに、ドゥオモ広場の洗礼堂も傾いているのだが、わずか0.6度ということで目立っていない。大聖堂はほとんど傾いていないが、全体的に地中に沈み込んでいる。

ピサの斜塔が倒れる心配はないのか?

ボナンノ・ピサーノ設計、直径15m・重さ14.453トンのピサの斜塔

ボナンノ・ピサーノの設計で(異説あり)、直径15m・重さ14.453トンを誇るピサの斜塔

20世紀後半、ピサの斜塔が毎年約1.2ミリメートルずつ傾きを増していることが確認された。このままではいつか倒壊するということで、1990年に塔への入場が禁止された。

抜本的な解決策が望まれたが、塔は途中で角度が変わっているような不規則なものなので、そもそも真っすぐにしようがない。しかも地盤はもちろん基礎や壁も頑丈でないため、なかなか有効な方法は見つからなかった。

重みで南側に沈み込んだのだから、北側を重くして沈み込ませればいい――。というわけで、1993年にはピサの斜塔の北側にコンクリートブロック数百トン分が積み上げられ、わずかに傾きが是正された。しかし、塔の前にブロックが山積みになった姿は醜く、別の方法が模索された。塔にワイヤーを取り付けて逆側に引っ張ったり、地中にワイヤーを通して重しの代わりにするといった方法が試されたが、うまくいかなかった。
柱と半円アーチに覆われたピサ大聖堂

ピサ・ロマネスク様式の特徴である、おびただしい数の柱と半円アーチに覆われたピサ大聖堂

そして1997年には北側の地中の土を直接取り除く計画が採用され、実行に移された。地面に何本ものドリルを突き刺し、これを回転させることで77トンの土を抜き取ると、1度以上の角度が是正された。これが現在見るピサの斜塔の姿だ。

これらの工事の結果、傾きは停止し、今後300年間は安定していることが確認された。このため2001年に一般公開が再開され、人数制限はあるものの、現在は頂上まで上ることができる。

海洋都市国家ピサの歴史

上空から眺めた「ピサのドゥオモ広場」

上空から眺めた「ピサのドゥオモ広場」。新市街が築かれるまで海洋都市国家ピサの中心をなした (C) Luca Aless

「ピサのドゥオモ広場」はその名の通り、大聖堂前に広がる広場を中心とした世界遺産だ。なぜピサにこれほどの広場が築かれたのか、その歴史を紐解いてみよう。

ローマ時代、ピサは帝国の商業港や軍港として発展し、やがてイタリア西部最大の港に成長した(東部最大はベネチア)。ローマ帝国はゲルマン民族の侵入によって滅亡したが、ピサはその海軍力によって破滅を免れると、東ローマ帝国やローマ教皇が使用する主要港としてさらにその名を高めた。

10世紀頃から現在のレバノンやイスラエル、エジプトなどとの貿易が活発化し(東方貿易/レバント貿易)、香辛料や綿織物・陶磁器などを輸入して莫大な富を得た。ピサはジェノバやアマルフィ、ベネチアと並んでイタリアの四大海洋都市国家に数えられ、地中海貿易を牛耳った(いずれも世界遺産)。

11世紀はじめ、イタリア半島の西に浮かぶ島々はイスラム勢力の支配下にあり、イタリアの諸都市はたびたび攻撃を受けていた。ピサはこれらの島に攻撃を仕掛け、コルシカ島とサルデーニャ島を征服し、1063年にはシチリア島のパレルモ沖の海戦で大勝を収めた。そしてこれらの戦いで得た利益を元にドゥオモ広場の建設がはじまった。
西側から眺めたドゥオモ広場

西側から眺めたドゥオモ広場。手前の洗礼堂の天井は半球と円錐の二重ドームが組み合わさっている

この勢いで北アフリカに進出して植民地を建設し、1099年には第1回十字軍に参加してエルサレムに入城した。1136年にはライバルのひとつであるアマルフィを征服し、フランスやスペインと協力関係を結ぶと、地中海西部における支配体制を固めた。

あまりに力を拡大したことから近郊のジェノバやフィレンツェ、ルッカといった周辺都市と対立し、地中海東部でも宿敵ベネチアと敵対した。1284年のメローリアの戦いでジェノバに大敗すると、海軍の多くを喪失。14世紀に入るとフィレンツェが急成長を遂げ、1406年に占領されるとフィレンツェやトスカーナ大公国の支配下に入った。

15~16世紀には川の流れの変化からピサ港に土砂が堆積して水深が浅くなり、大型船が停泊できなくなってしまう。これによりトスカーナの主要港としての立場も失い、ピサは一地方都市に落ち着いた。

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「ピサのドゥオモ広場」の見どころ1. ピサの斜塔

南側から眺めたドゥオモ広場

南側から眺めたドゥオモ広場。大聖堂は傾いてはいないものの、重みでやや沈み込んでいる

以下では世界遺産「ピサのドゥオモ広場」の見どころを順番に紹介していこう。世界遺産の資産(登録範囲)はおおよそ下の地図のようになっている。開館時間や入場料等については公式サイトで最新情報を確認のこと。

<関連サイト>
まずはピサの斜塔だ。塔は鐘を鳴らすための鐘楼で、高さ56メートル、基礎を含めると58.36メートルを誇る。屋上の鐘室には7つの鐘が設置されているが、現在は鐘の振動が与える影響を考慮して揺れないよう固定されている。

中央がくり抜かれた筒のような構造で、真ん中は吹き抜けのようにぽっかりと空いており、273段のステップを持つ螺旋階段が設置されている。塔は207本の柱とアーチによって装飾されており、ピサ・ロマネスク様式の美しさを際立たせている。

ピサ出身のガリレオ・ガリレイが鐘楼の上から大小ふたつの鉛玉を落とし、物は同じ速さで落ちるという「落体の法則」の実験を行ったことで有名だが、この逸話はガリレオの弟子で彼の伝記を書いたヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニの創作と考えられている。

ガリレオは地動説を提唱したことで有罪判決を受け、「それでも地球は回る」と小さく呟いたという逸話でも有名だ。教皇ヨハネ・パウロ2世はこの異端審問の誤りを認め、1992年に鐘楼の頂上でガリレオの破門を解いて謝罪している。
ピサの斜塔から眺めた大聖堂、洗礼堂

ピサの斜塔から眺めた大聖堂と洗礼堂。大聖堂のラテン十字がよく見える

■ピサの斜塔の予約方法
塔の入場にのみ人数制限があるが、入場の20~1日前であれば時間を指定してネット予約することができる(VISAまたはMasterCardのデビッドカードかクレジットカードが必要)。空きがあれば当日でも窓口でチケットを購入できるが、ハイシーズンに訪れる人、待ち時間を減らしたい人は予約した方が無難だろう。

あるいは、フィレンツェなどから出ている現地ツアーに申し込んでもよい。日本からツアーに参加する人は、予約の要不要を事前に問い合わせておこう。

「ピサのドゥオモ広場」の見どころ2. ピサ大聖堂/ドゥオモ

ドゥオモ広場

芝が美しいドゥオモ広場。その奇跡的な景観からミラコリ広場(奇跡の広場)の異名を持つ

ヨーロッパやその植民地では町の中心に大聖堂と中央広場を置き、ここを中心に都市が築かれた。「大聖堂」はカトリックの司教が座る椅子=カテドラのある教会のことで、イタリアでは「カテドラレ」、あるいはドームが取り付けられていることから「ドゥオモ(英語でドーム)」と呼ばれた。

一般的に中央広場は石畳だが、ピサの広場には芝が植えられている。大聖堂の白大理石が芝の緑によく映えて、イタリアでも屈指の美しさを誇る中央広場となっている。

この大聖堂と広場は1063年のシチリア・パレルモ沖海戦での勝利を記念し、ベネチアに対抗して建設がはじまったもので、1118年に竣工するとピサの繁栄の象徴となった。
ピサ大聖堂の身廊からアプスを眺める

ピサ大聖堂の身廊からアプス(後陣)を眺める。アーチの模様や柱にはイスラム・ムーア様式の影響も見られる (C) Tango7174

東西の軸が長いラテン十字形で、ファサード(西正面)は大理石パネルで覆われており、それ以外の側面は色の違う大理石や花崗岩を並べて白と灰色の縞模様を描いている。ファサードは多数の柱とアーチで装飾されており、ギリシアのコリント式の柱頭も見られる。

内部も多数の柱とアーチ、格天井で覆われており、シンプルながら重厚で美しい意匠となっている。こうした多数の柱やアーチ・縞模様はイスラム建築の影響で、ローマ・ギリシア建築やビザンツ様式の名残も見られ、地中海の芸術文化を総合したピサ・ロマネスク様式の特徴が表れている。
大聖堂の天井から吊り下げられたランプ

大聖堂の天井から吊り下げられたランプ

大聖堂に伝わるいくつかの伝説を紹介しておこう。

■奇跡のアンフォラ

イスラエル・ガラリア湖畔の町・カナで婚礼に立ち会ったイエス(キリスト)は、「ブドウ酒がなくなった」という主人の悩みを聞き、お清めの水を巨大な水がめに入れてブドウ酒に変えたという。これがカナの婚宴の奇跡で、大聖堂のコリント式柱頭の上に掲げられたアンフォラ(陶器の壺)はその際に使われたものと言われる。

■ガリレオのランプ
ガリレオは大聖堂の天井から吊されたランプを観察して「振り子の等時性(振り子が往復する時間は振り子の揺れ幅や重さによらず一定であること)」を発見したと伝えられている。この話自体は後世の創作とも言われるが、ガリレオが見たであろう当時のランプはカンポサントに収められており、大聖堂には現在それより大きなランプが吊されている。

■受胎記念の卵
中世、ピサは聖母マリアが天使ガブリエルから受胎告知を受けた3月25日を正月に定めていた。これを記念して生命の象徴である大理石性の卵が置かれており、3月25日の正午に南側の丸窓を通った太陽光がこの卵を照らす。

「ピサのドゥオモ広場」の見どころ3. サン・ジョヴァンニ洗礼堂

サン・ジョヴァンニ洗礼堂

均整の取れたサン・ジョヴァンニ洗礼堂。洗礼堂はこのように円形や正多角形で造られることが多かった

洗礼堂はその名の通り洗礼を行うための建物で、中央には聖水を収める洗礼盤が設置されている。イタリア最大の洗礼堂で、高さ54.86メートル、直径34.13メートルを誇る。

1152年に着工されたが、こちらもいくたびかの中止を経て完成は1363年にずれ込んでおり、このため下層はロマネスク様式、上層はより新しいゴシック様式で築かれている。鐘楼や大聖堂が半円アーチで装飾されているのに対し、洗礼堂がトゲトゲしい尖頭アーチで覆われているのはゴシック様式の影響だ。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂の内部

見た目以上に大きいサン・ジョヴァンニ洗礼堂の内部

ドームは半球と円錐を組み合わせた二重ドームで、12使徒と示す12本の柱と厚さ2.63メートルの壁で支えられている。内部は非常にシンプルながら音響効果が高いことで知られており、30分に一度、音を鳴らすデモンストレーションが行われている。

「ピサのドゥオモ広場」の見どころ4. その他の見どころ

カンポサント

カンポサント。伝説では、ここに埋められた遺体は24時間以内に土に還るという

ドゥオモ広場のハイライトは鐘楼・大聖堂・洗礼堂だが、その周辺にもいくつかの建物がある。代表的な建物を紹介しておこう。

■カンポサント/記念墓所
教会として1277年に建設がはじまったが、広場の各所に設置された墓や棺・埋葬品をまとめる墓所として1464年に完成した。回廊は美しいフレスコ画で覆われ、ローマ時代の石棺が並べられていたが、第二次世界大戦の爆撃によって多くが失われてしまった。フレスコや彫刻・装飾・石棺等の修復が進められており、一部は復元されている。

■シノピア博物館
広場の南に隣接する博物館。主としてカンポサントのフレスコの下絵が展示されている。「シノピア」はもともと壁に描かれたフレスコの下絵のことで、中世には紙や羊皮に下絵が描かれ、これらもシノピアと呼ばれた。

■ドゥオモ・オペラ美術館
広場の東に隣接する美術館。もともと大公宮殿として建設されたものだが、現在は大聖堂や洗礼堂に収められた彫刻や装飾・絵画等のオリジナルが保存・展示されている。

「ピサのドゥオモ広場」への道

北側から眺めたドゥオモ広場、カンポサントと大聖堂

北側から眺めたドゥオモ広場、カンポサントと大聖堂 (C) gabriele bartolucci

■エアー&ツアー情報
日本からピサには直行便がないので、ローマやロンドン、ミュンヘン、モスクワ、ドバイなどを経由する。格安航空券で7万円前後から。ツアーは6日間10万円前後から。

ピサはフィレンツェの西約70km、ジェノバの南東約140km、ミラノの南約220kmで、イタリア中部・北部の主要都市から気軽にアクセスできる。フィレンツェからなら快速電車で約1時間、ジェノバから1.5~2時間、ミラノから3~4時間程度。フィレンツェから日帰りで訪れる観光客も少なくない。

■周辺の世界遺産
100km圏内に「フィレンツェ歴史地区」や「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」の宮殿群、「ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群」「サン・ジミニャーノ歴史地区」「シエナ歴史地区」がある。

「ピサのドゥオモ広場」のベストシーズン

ゴシック様式の洗礼堂

トゲトゲしい尖頭アーチが特徴的なゴシック様式の洗礼堂

気温は東京とほぼ同様で、夏の平均最高気温は29度、最低は17度。冬は11度と3度。冬の最低気温は東京より暖かく、夏の最高気温は東京より涼しく乾燥しているため、東京よりも過ごしやすい。

降水量は冬に多く夏に少ない地中海性気候で、7~8月の降水量は月間わずか20mmと、東京で雨がもっとも少ない12月の半分程度となっている。逆に、雨がもっとも多いのは9~11月で、月90~150mmを記録する(東京でもっとも多い月は9月で200mm超)。

ベストシーズンは暖かくて雨が少ない5~9月とされるが、世界遺産の観光は一年中楽しめる。

世界遺産基本データ&リンク

北西から眺めたドゥオモ広場、洗礼堂と大聖堂

北西から眺めたドゥオモ広場、洗礼堂と大聖堂

【世界遺産基本データ】
登録名称:ピサのドゥオモ広場
Piazza del Duomo, Pisa
国名:イタリア
登録・変更年と登録基準:1987年、2007年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi)

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