「ティーチャーズ」はブレンデッドの歴史とともにある
ウィリアム・ティーチャー
もっといえば、いまよく飲まれているブレンデッドスコッチのなかでは、ブレンデッド誕生期に生まれたブランドであり、ブレンデッドの歴史とともに歩んできたウイスキーである。「ティーチャーズ ハイランドクリーム」のブランドストーリーに関しては『ティーチャーズ/アードモアが中核の名ブレンデッド』の記事をご一読いただくとして、今回はまず、ブレンデッドウイスキーが成長するまでの歩みを見つめてみようと思う。
ブレンデッドウイスキーを簡単にいえば、モルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドしたものだ。イギリスで異なるウイスキーの混和が認可されたのは1853年のこと。ただし、許されたのは、単一蒸溜所製品に限り、貯蔵年数の異なるウイスキーの混和だけであった。つまりそれまではシングルカスクで売られていたということ。
最初に製品化したのがエディンバラのウイスキー商、アンドリュー・アッシャー。熟成年数の異なる「グレンリベット」を各種ブレンド(ヴァッティング)した「オールド・ヴァッテッド・グレンリベット」を発売した。
次に法律が動いたのが1860年。異なる蒸溜所間の原酒の混和が許された。
アッシャー社がすぐさま新製品を発売。それがモルトウイスキーとグレーンウイスキーを混和した「アッシャーズ」で、初のブレンデッドウイスキーである。その3年後に「ティーチャーズ」が発売されているから、まさにブレンデッド黎明期(れいめいき)に誕生したブランドといえる。
ティーチャーズ・ハイランドクリーム
18世紀からスコットランドの南部、イングランドに近いローランド地方ではモルトウイスキーとともにグレーンウイスキーをつくっていた。多くは単式蒸溜器で1回蒸溜後、そのままロンドンの業者に売る。ロンドンではそれを精溜(純度を高めるために再度蒸溜)し、ジュニパーベリーといった香草に浸したりしてジンを製造した。
こうした動きは、エディンバラやグラスゴーといった都市のあるローランドは税官吏の目が届きやすく、ハイランドのように密造が難しかったことにある。そこで課税が厳しいことから、安価な穀類を使いグレーンウイスキーをつくりはじめた。しかしながらうまくはいかない。ハイランドの密造、密輸の良品と競うことができない。ならばジン業者へとの図式である。
19世紀になると1823年に税率を下げたウイスキー法が発布され、翌年からハイランドの蒸溜所では政府公認蒸溜所としての登録がすすみ、ハイランドのモルトがイギリスの大都市へと流通して人気が高まる。ローランドはさらに分が悪くなるのだった。(次ページへつづく)