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米大統領と酒2/教科書が語らない歴史(2ページ目)

バーボンで命拾いしたセオドア、三国首脳会談時のトルーマンのマティーニ、ボストンのウイスキー樽職人からはじまったケネディ家のアメリカン・ドリーム。ま、教科書が語らないのは、当たり前だな。

協力:サントリー
達磨 信

執筆者:達磨 信

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トルーマンのマティーニ

マティーニ
トルーマンが飲んだ。カクテルの王、マティーニ。女王はマンハッタン。
フランクリン・ルーズベルトの急死後、33代大統領となったのがハリー・トルーマン。就任からまもないトルーマンが出席した、ポツダム宣言の3国首脳会談時のディナーの酒とはどんなものだったか。
ベルリンに集まったトルーマン、チャーチル、スターリンは目の前のヨーロッパ問題でアタマは一杯。しかもチャーチルはまもなくイギリス首相の座を去ることが決っており、スターリンは心臓発作のため1日遅れで到着といった具合でどこかまとまりに欠けていた。
ディナーでは3人それぞれにまったく違う酒を飲んだ。トルーマンはいかにもアメリカ人らしいマティーニ、チャーチルはもちろんスコッチウイスキー、スターリンはもちろんウォッカだった。
そしてディナー時の音楽が面白い。その夜の当番国が勝手にやった。ロシアがホスト国の夜、スターリンはモスクワの超一流音楽家たちを呼んで優雅に演奏させた。するとトルーマンは負けてはいられない。ユージン・リストを軍服のまま呼び寄せ、ショパンのワルツを弾かせた。トルーマンの好みだったのだが、戦火を浴びたドイツではすぐには楽譜が見つからない。パリから楽譜を空輸させ、リストが暗譜する暇もないので楽譜を見ながらの演奏になった。その楽譜めくりをマティーニ片手のトルーマン自らがおこなったという。
さて無粋だったのはチャーチル。イギリスがホスト国の時には、なんと空軍の軍楽隊を呼び寄せ、ゆったりとしたディナーの席に威勢のいい轟音を響かせたらしい。その時のスコッチは旨かったのだろうか。

ケネディ家のはじまりは樽職人

さて皆さんよくご存知の35代ジョン・F・ケネディ大統領。JFK自身というよりもアメリカでのケネディ家のはじまりは酒との関わりが深い。
19世紀半ばにアイルランドからボストンへ移民としてやってきたケネディ家は、ウイスキーの樽つくりを生業とした。そして2代目のパット・J・ケネディが酒場を経営する。これが貧しい移民から脱却するきっかけとなる。
パットは体格がよくて荒くれ者のあしらいは苦もなく、マスター兼バーテンダーとしての腕もよく、なによりも聞き上手だった。店は評判を呼び、繁盛し、お金も生まれ、信用も得る。酒場を2軒増やし、石炭業を営み、これらで得た資金でコロンビア信託銀行を創立。そして州上院議員に当選する。それからはケネディ王国へ向けて突っ走ることになる。
移民の貧困生活からホワイトハウスに登りつめたケネディ家の歩みはアメリカン・ドリームそのもの。そのアメリカでの第一歩はウイスキー樽職人であった。

さて2009年に就任したオバマ大統領。彼もアメリカン・ドリームの体現者のひとり。もうすぐ熱狂が冷め、厳しい現実と戦う時が来る。酒はあまり口にしないそうだが、そしたらウイスキーをね、飲まなきゃ。

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オバマ大統領就任記念/米大統領と酒1
その1 夕暮れのドライマンハッタン
その2 アイルランドを謳うシャムロック
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