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思い出トランクに詰めた酒の話 第3話『グラスにゆらめく、ホテルカリフォルニア』(2ページ目)

久しぶりの思い出トランク。あるボーカリストとの短い交流を描いてみた。この話の中に出てくる、声楽家の錦織健氏がかつておっしゃった、「ウイスキーのような歌い手になりたい」はこのトランクの宝物のひとつ。

協力:サントリー
達磨 信

執筆者:達磨 信

ウイスキー&バーガイド

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T君がかなり酔った頃、私のために青春の曲を歌ってやると言い出した。私は嬉しくて、調子に乗って曲名をいくつも口にした。結局彼が歌詞をきちんと覚えている曲はイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』しかなかった。
いざ歌うとなるとT君は我々に楽器のパートを口ずさむことを義務づけた。私はギターだった。パーカッションを担当させられた若いバーテンダーは、このリズムでやれと何度もダメを出された。しかも全員に、下手くそで邪魔クサイから小声でやれと命じた。えらく我がままだった。

ショットグラス
この一杯に、不意に忘れかけていたあの日の笑顔がよみがえる。
ドン・ヘンリーに負けないぐらいの歌声だった。ハスキーでセクシーなT君の声は静かにはじまり、しだいにソウルフルになる。最後は全員がブラスに転じ、「パララパララ、パララパラララー」と大合唱となる。私の身体はジーンと痺れていた。

ラッパーの声楽家

痺れた感覚の中で、その4、5年前に会った声楽家の錦織健氏との会話を思い出していた。ネスカフェのCFが終わり、TVのバラエティ番組にも出演するようになった頃の錦織氏である。いまから10年以上も前のことだ。
その頃彼は自宅で、読書やゲームを楽しみながら、バーボンのワイルドターキーをボトルごとラッパ飲みしていると言った。「声帯によくないんじゃないか」という私の問いに、なんで、といったふうに彼はキョトンとした顔つきをしていた。

いま錦織氏がボトルからグビッのラッパーかどうかは知らない。でも記憶に残る言葉がある。
「ウイスキーのような歌い手でいたい。若い頃の錦織もよかったが、円熟してきた錦織もいい、というふうに言われたい。ウイスキーの味わいが長く寝かせるほどに深まるように、熟成していきたい」
ラッパーの声楽家はこう言ったのだ。

パララパララと合唱しながら考えた。T君が深く熟成した時、『ホテル・カリフォルニア』をどんなふうに歌い上げるのだろうかと。でもその想像はあまりにも虚しいことだと気づいた。

それからT君はそのバーへ顔を出さなくなった。おそらくすべてを断ち切ろうとしたのだろう。
T君、キミはいまもウイスキーを飲んでいるかい。私はいけない。酒場で『ホテル・カリフォルニア』が流れてくると、黙り込んでしまう。

前回の思い出トランクに詰めた酒の話『作家たちのウイスキー・タイム』もご覧いただきたい。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
※メニューや料金などのデータは、取材時または記事公開時点での内容です。
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