光で着飾った蒸溜所
12月8日、かつて大日本帝国海軍が真珠湾を攻撃し、ジョン・レノンが凶弾に倒れた日、サントリー山崎蒸溜所へ日帰りで行った。夕方6時に仕事を終えてひとり外に出ると、いつもの気配と違う。日はとっぷりと暮れているのに奇妙な明るさを感じる。所内から外へ出て、いきなりの寒さに前屈みになってしまった身体を起こしてあたりを見まわすと「おや、まあ、ヘェーッ」と立ち止まって見惚れてしまった。
テーマパークのように賑やかなイルミネーションの世界が広がっていた。ウイスキー館も、その前庭も、電飾でいっぱい。どうやらこの時期、クリスマス・イルミネーションとやらで着飾っているらしい。
その光の渦に誘われてウイスキー館の前庭の遊歩道を歩く。ご近所に住む老夫婦、子ども連れの一家などたくさんの人が眺め歩いている。私は光に映える紅葉の陰影の見事さに目を奪われ、頭上を見上げながら足を運んでいたら、いちゃついていた若いカップルの邪魔をしてしまった。
潮時と思いJR山崎駅へ向かおうと東海道線の踏切近くに行くと、かつて活躍していたポットスチルのモニュメントまで電飾で輝いていた。
貯蔵一筋の男がいる
光というものはいいものだ。希望や幸福感を抱かせる。その時の私は随分と優しい気持ちになっていた。そしてひとりの庫人(くらびと)が頭に浮かんでいた。穏やかな笑顔とパンチョン樽のようにふくよかな姿が印象的な庫人だ。
奥出健治氏。山崎蒸溜所の貯蔵グループに36年間も勤めた男だ。
いま山崎蒸溜所のホームページに私が連載している『職人の肖像』第4回で奥出氏のことを取り上げている。詳しくはそちらを読んで欲しいのだが、彼は私の尊敬するウイスキー職人のうちのひとりだ。
奥出氏は1969年入社。貯蔵一筋に生きてきた。世相が移り変わり、スピードや量がやたら求められる時代となっても、世間の喧騒とはほど遠く、熟した果実のような濃密な香りに満ちた暗く静かな貯蔵庫を見守りつづけてきた。
10年以上もの年月を経てモルト原酒が熟成する、おそろしく非効率な過程を淡々と見つめてきた。(次頁へつづく)