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「ファミコンの思い出」(3ページ目)

「ファミコンの思い出」

執筆者:川島 圭太

ファミコンの思い出
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姉に勝てず喧嘩に・・・ 投稿者:バン さん (男性/20代)
小学校2年生の時、姉と私の二人で親に頼み込み、ファミコン(ロボットとの抱き合わせ・・・ロボットだけなのでゲームは出来ませんでした)を買ってもらいました。

私はプーヤン、姉はアイスクライマーを買ってもらい一緒に遊びました。特にアイスクライマーは対戦が熱かったです。(対戦ゲームではありませんが)ひたすら山の頂上を目指して登り続ける。単純でわかりやすく二人とも直ぐにうまくなりましたが、姉になかなか勝てず、よく喧嘩になりました。また姉と対戦したいです。

・・・◆・・・

ファミコンは思い出の記憶装置 投稿者:ハムにゃむ さん (男性/30代)
中学1年の時、ファミコンに出会った。何もかもが新鮮であった。テレビゲームをすること自体が当時の世間ではめずらしかった。友人宅へみんなが押しかけ、話題はゲームばかりになっていった。ウラ技、バグ技、攻略法・・・テレビでは名人が出てファミコンをプレイしたり、どこにいても何を見てもファミコン一色に染まっていた時代、僕の青春そのものがファミコンだった。

時が経ち、世間でゲームをする事がどこの家庭でも当たり前になった。媒体もカセットの時代からCDやDVDになり映像や音は格段と良くなった。けど、何かが足りない。そんな時友人がファミコンミニのスーパーマリオをもってきたので遊ばせてもらった。

「何を今さらこんな昔のゲームを、、」と苦笑まじりに電源を入れた。タイトル画面が出た時、なぜか鳥肌が立った。ワクワクする感じと当時の思い出がよみがえってきた。懐かしいメロディが流れ、「あぁ~懐かしい~!」と思わず声に出す。僕らにとっては歌謡曲や何よりもファミコンの音楽こそが懐メロなのだなと確信した。アルバムには残せない思い出がプレイする度によみがえる。

そして何よりも今遊んでもとても面白い!!
現代のゲームは外見ばかり気にしている。骨の弱い贅肉だらけなゲームが多い。しかしファミコンは内容で勝負な骨太のゲームが多かった。時代が流れてもその面白さは変わらない。むしろ当時の思い出もミックスされて面白さ倍増だ。

当時はゲーム機でしかなかったファミコンは今は思い出を蘇らせる記憶装置となっている。カセットの種類だけ思い出がある僕らにはファミコンは人生の大切な思い出なのだ。

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とうとう腱鞘炎に 投稿者:かっとびの助 さん (女性/40代)
大人と言われる年齢でしたが、ゲームが大好きでファミコンの登場には本当に感動しました。
あまりにも嬉しくて、毎日何時間もプレイしていたので、とうとう腱鞘炎になってしまうほどでした。

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ファミコン世代なら通じる言葉 投稿者:Y2KF さん (男性/20代)
高橋名人、16連射、キンタマリオ、スーマリ、端子にフー!、ふっかつのじゅもん、坂道でジャンプ、ドラミちゃーん、おきのどくですが…、Bめんをセットしてください、ブロッケンJrは反則、Mチームは反則、・・・ これらの言葉、ファミコンを知らない子供達には何が何だか意味不明でしょう。そして、ファミコン世代ならこれだけでも意味は通じる事でしょう。

今でも、同じ世代の友達ならば、こんな単語がひとつ出てきただけで、一気にファミコンの思い出話になってしまう事がしばしば。それだけ、ファミコンという物が、僕らの記憶に深く刻まれた存在だったんでしょう。

思い出を語ろうと思っても、語りきれないというのが正直な所です。

・・・◆・・・

兄弟いっしょに遊んだから 投稿者:タタ さん (女性/20代)
初めてファミコンにさわったのはいとこの家で。それまでゲームはほとんどやったことがなかったので、全然うまく動かせなかったけどそれでもものすごく楽しかった。たしか、ドンキーコングとポパイだった。

それから何年かたってようやくうちにもファミコンが。本体と抱き合わせのソフトも買わされた。当然、ク○ゲー。でもそれでも夢中になって何時間もやった。それでお母さんに本体を隠されてしまった。兄弟と必死になって探したっけ。少し反省もしてお母さんに怒られない程度に時間を短くした。兄弟かわりばんこでやるので長い時間できないのは辛い。でもいっしょにゲームするのは本当に楽しかった。

今でもゲームはしたりするけどあのときほどゲームに夢中になれない。兄弟いっしょにやったからあんなに楽しかったのかと思ったりする。

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ファミコンの“思ひ出” 投稿者:かるちょ さん (男性/30代)
なんといっても、手に入れた時のことを思い出す・・・。

忘れもしない、昭和60年2月。当時大学に入りたての自分は、前年のクリスマスに初めてプレイしたファミコン(べースボール)が忘れられず、とうとう購入のため池袋に出向いたのだった。が、ちょうどファミコンがブレイクしかけていたこともあり、どこの店にも置いておらず、「次回入荷は未定」の札が無常に掲げられていただけだった・・・。1日かけて足が文字通り棒のようになるまで歩き回ったが、結局途方に暮れた・・・。

そして、時は流れた約1ヶ月後、まだ手に入るあてもなく、秋葉原のある店に出向いたところ、な、なんとあのファミコンが店頭に山のように積んであるではありませんか!そのお店は、忘れもしない「ヤマギワソフト館」!!(といってもこの前の火事のところではなく、今のラオックスゲーム館の裏あたりに小さくあったと思う。名前はゲームソフト館だったかな?)

あの時は積んであるファミコンたちがなんかキラキラと輝いて宝の山のように見えたのを思い出す。そして、喜び勇んで「ゴルフ」&「バルーンファイト」とともに家路についたのでした。

かくして、ファミコン購入のため、1ヶ月の「短くとも苦しい戦い」が終焉を迎えたのでした。今思えば、なんとも懐かしい“思ひで”でした・・・。

・・・◆・・・

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