日本のウイスキー発祥の地は製油発祥の地でもある
離宮八幡宮と油発祥の碑(撮影・川田雅宏)
今回はJR山崎駅のほど近く、駅前といえる場所にある離宮八幡宮を紹介しよう。
山崎は古くは貴人たちの保養地であったことをこれまで述べてきた。『山崎蒸溜所100周年・やまざき物語序章』や『山崎100周年1/貴人たちへの分け前』では、653年に孝徳天皇が山崎宮を建造したこと、『伊勢物語』にまつわる惟喬親王と在原業平との関わりなどを語った。
さらには『山崎100周年4/湿潤で美しい水郷地帯』において、名水百選に選ばれている清らかな水の湧き出る水無瀬神宮は後鳥羽上皇の離宮跡に建てられものであることなどを紹介してきた。
さて離宮八幡宮。ここは嵯峨天皇(786-842/在位809-823)の河陽(かや)離宮跡に建立されたものであり、そして“油祖”、油の神様として知る人ぞ知る神社である。
日本のウイスキー発祥の地は、日本の製油発祥の地でもあった。山崎は創業の地といえるかもしれない。
淀川の津(港)として栄えていた平安時代後期に、神官が“長木”という荏胡麻(エゴマ)油の搾油器を発明したとされ、当初はその油を神社仏閣の燈明用として奉納していたのだが、やがて広く知れ渡るようになる。そして鎌倉時代から戦国時代にかけて、離宮八幡宮は荏胡麻油の製造販売の独占権を持つ油座の本所として栄えたのだった。
神事や社務の補助を務める神人たちが近郊へは天秤棒を担ぎ、遠方へは商隊を組んで旅をする。油を販売し、出かけた先の特産品を仕入れ、それを京の都に運び販売するという合理的な商いをおこなっていたらしい。司馬遼太郎著『国盗り物語』で描かれている斎藤道三は油商人から乱世をのし上がり戦国大名となった。
「よいごとに都に出づる油売 更けてのみ見る山崎の月」
この歌は『七十一番職人歌合』(1500年頃)に収録されているものだ。職人歌合は中世の職人を題材に、貴族たちが自分とは異なる社会に生きる人たちの姿を詠んだものである。貴族たちでさえ油商人の多忙さを認識していた。
サントリーの福與伸二チーフブレンダーによると「離宮八幡宮で人気の高いお守りは“油断大敵”」らしい。これにはなるほど、と思いながら笑ってしまった。
お守りに加えてさらに人気の高いものがある。こちらも福與チーフに教わったのだが荏胡麻油「御神油」。離宮八幡宮限定の特別仕様品である。チーフは自宅の食卓には欠かせないとおっしゃっていた。オメガ3とかわたしにはよくわからないのだが、健康によい成分が含まれていることは読者の皆さんのほうが詳しいのではなかろうか。
山崎に出かける機会があれば、離宮八幡宮に是非お参りしていただきたい。(『山崎蒸溜所100周年6/山崎宗鑑と松尾芭蕉の足跡』はこちら)
夜の山崎蒸溜所から仰ぎ見る月(撮影・川田雅宏)。
右は離宮八幡宮「御神油」。
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