千利休も茶を点てた山崎の名水
左・水無瀬神宮に湧く離宮の水/右・尾白川渓谷(撮影・川田雅宏)
日本初の本格モルトウイスキー蒸溜所、サントリー山崎蒸溜所の建設がはじまったのは1923年である。今年100周年。その歩みについて語るとき、山崎がいかにモルトウイスキーづくりにふさわしい地であるか、その驚異といえる環境について触れない訳にはいかない。
モルトウイスキーづくりは蒸溜所の立地環境がとても重要となる。まず上質な仕込水を確保できること。そして麗しい香味を花開かせるためには湿潤な気候風土のなかでの貯蔵熟成が不可欠である。枯れることのない良質な水と湿潤さが見事に備わっているのが山崎という地である。
すでに前回記事『山崎蒸溜所100 周年3/湿潤で美しい水郷地帯』で、山崎の湿潤さを述べた。今回は仕込水についてお話したい。
水無瀬神宮
承久の乱で隠岐に流されて崩御した後鳥羽上皇の遺勅により、上皇の離宮があった跡に御影堂を建立(1240)したのがはじまりとされ、ここには土御門天皇、順徳天皇も祀られている。
境内の手水鉢に注ぐ水は『離宮の水』として環境省認定名水百選のひとつとなっており、同じ水脈の水を山崎蒸溜所のモルトウイスキーづくりの仕込水に使用している。名水百選の選定(当時環境庁)は1985年にはじまる。1923年以前に山崎の地に蒸溜所建設を決定していた鳥井信治郎の慧眼は驚異としか言いようがない。
山崎蒸溜所の名水での仕込は重厚で華麗なモルトウイスキーを生む、大きな要因のひとつとなっている。
歴史的エピソードとしては、この地の水で茶聖・千利休(1522-1591)が茶を点てたことが知られている。
戦国の世、1582年。京都・本能寺の変で織田信長が重臣・明智光秀に討たれる。中国地方に出陣していた羽柴秀吉は4万の大軍を率いて西国街道を驚異的な早さで山崎まで駆け戻り、光秀と対峙した。山崎合戦、天下の分け目の天王山の戦いである。
サントリー山崎の水<微発泡>
待庵はいまも国宝としてJR山崎駅すぐ傍にある妙喜庵に遺る。慶長年代(1596-1615)に妙喜庵に移築されたといわれている。我が国最古の茶室建造物であり、利休の遺構としては唯一のものであるらしい。
市販されている山崎の水としては「サントリー山崎の水<微発泡>」「同山崎の水<発泡>」(いずれも330ml・¥300/税別希望小売価格)、また「ザ・プレミアムソーダ FROM YAMAZAKI」(240ml・¥100/同)がある。
ザ・プレミアムソーダ FROM YAMAZAK
白州蒸溜所の仕込水は軽快でなめらかなモルト原酒を生みだすことに貢献してきた。そしてその水が「サントリー天然水 南アルプス」であり、ウイスキーで使われる水がミネラルウォーターのビッグブランドになった特異な例である。
しかも白州・尾白川の水も1985年に名水百選に選ばれている。
かつてこのサイトで述べたことがあるが、いくら名水とはいえ、山崎の天然水を白州蒸溜所の仕込水に使用しても、白州タイプの香味を持つモルトウイスキーとはならない。また白州の天然水を山崎蒸溜所の仕込水に使っても、山崎タイプのモルトウイスキーを生むことはない。
水には履歴があり、その地質環境が大きく関わっている。蒸溜という工程を経ても、その履歴は変わることがない。ウイスキーづくりにおいて、いかに自然環境が重要か。シングルモルトは地酒、と言われる理由のひとつがここにある。(『山崎100周年5/ウイスキーとエゴマ油発祥地』はこちら)
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