世界遺産/アジアの世界遺産

アジア西部の世界遺産(4ページ目)

乾燥した大地からなる西アジア、ステップが広がる中央アジア、緑豊かな南アジアからなるアジア西部。メソポタミア、インダスという大文明をもたらし、世界三大宗教を生んだこの地域の世界遺産を紹介しよう。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

古都アレッポ

アレッポ城

アレッポ城の石橋。深さ22mの堀に囲まれ、城に入る道はここしかない ©牧哲雄

シリア、
1986年、文化遺産(iii)(iv)
アレッポの歴史は紀元前3000~紀元前2000年にまでにさかのぼり、5,000年以上の歴史を誇る。古来中央アジア、メソポタミア、小アジア(トルコ)、ヨーロッパ、エジプトをつなげる隊商貿易の中継地として栄え、世界中の産品がこの街の市場=スークに集まり、売買されていた。街を守っているのは難攻不落のアレッポ城で、十字軍やモンゴル、ティムールの攻撃に耐えきった。しかし2012年、内戦によってスークの多くが焼失し、アレッポ城やグレート・モスクも損傷。UNESCOが懸念を表明した。

紹介記事はこちら>>古都アレッポ/シリア

 

カトマンズの谷

カトマンズ、パタン、バクタプルの3古都からなる「カトマンズの谷」。写真はバクタプルのトゥマディー広場 牧哲雄

カトマンズ、パタン、バクタプルの3古都からなる「カトマンズの谷」。写真はバクタプルのトゥマディー広場 ©牧哲雄

ネパール、1979年、2006年拡大、文化遺産(iii)(iv)(vi)
すべてを浄化するガンジス川の支流バグマティにはヒンドゥー教の聖地パシュパティナート。仏教の聖地ボダナートとスワヤンブナートにはブッダの「知恵の目」が描かれた巨大なストゥーパがそびえている。ヒンドゥー教徒の家に知恵の目が描かれていたり、チベット仏教のマンダラにヒンドゥー教最高神シヴァが彫り込まれているなんてこともよくある話。カトマンズはヒンドゥー教に仏教、土着のアニミズムが混じり合った「人より神が多い街」なのだ。

紹介記事はこちら>>カトマンズの谷/ネパール


 

チトワン国立公園

インドサイ

IUCN(国際自然保護連合)の絶滅危惧種に登録されているインドサイ。チトワン国立公園には400頭前後が生息している

ネパール、1984年、自然遺産(vii)(ix)(x)
ネパールとインド国境付近にジャングル地帯で、いまなお残る原生林にはトラやサイ、ヒョウ、クマ、ジャッカル、サル、ワニ、イルカ、クジャク等々、数多くの野生動物が暮らしている。特に絶滅危惧種であるベンガルトラやインドサイにとっては「最後の生息地」と言われている。原生林を歩く「ジャングル・トレッキング」や、ゾウに乗って駆け回る「エレファント・ライド」などのアトラクションで数多くの動物を見学することができる。

紹介記事はこちら>>チトワン国立公園/ネパール

 


モヘンジョダロの遺跡群

モヘンジョダロのSDエリア。左上のストゥーパが有名だが、2世紀クシャーナ朝時代のもので、インダス文明とは関係がない 牧哲雄

モヘンジョダロのSDエリア。左上のストゥーパが有名だが、2世紀クシャーナ朝時代のもので、インダス文明とは関係がない ©牧哲雄

パキスタン、1980年、文化遺産(ii)(iii)
紀元前2500年前後から700~1,000年間も繁栄を続けたインダス文明の遺跡。3,500~4,500年も前の街並みであるにもかかわらず下水道が整備されており、家々には水洗トイレや浴室、ダストシュートまでついている。46体の虐殺体が発見されて「死の丘=モヘンジョダロ」と呼ばれるようになったが、遺体ははるか後年のものだった。これだけの都市ながら王宮も神殿も軍隊の跡も発見されていない。遺跡は突如放棄されており、その理由はわかっていない。

紹介記事はこちら>>モヘンジョダロ/パキスタン


 

ペトラ

エド・ディル。4世紀の大地震で壊滅したペトラを再び西洋が発見したのは1812年。探検家ブルクハルドが伝説の都市の噂を聞きつけて到達した

エド・ディル。4世紀の大地震で壊滅したペトラを再び西洋が発見したのは1812年。探検家ブルクハルドが伝説の都市の噂を聞きつけて到達した

ヨルダン、1985年、文化遺産(i)(iii)(iv)
断崖と岩山に囲まれた天然要塞で、ペトラにアクセスするためにはシークを通らなければならない。シークとは、高さ100mの断崖の中に1.5kmも伸びている幅3~5mの細道のこと。ここを抜けると突如出現するのが、インディ・ジョーンズ・シリーズ第3作『最後の聖戦』のラストシーンに登場したエル・ハズネだ。エル・ハズネを越えて先に進むと、ピンクや赤に染まった大地に造られた800とも1,000ともいわれる遺跡群が現れる。

紹介記事はこちら>>ペトラ/ヨルダン

 

エルサレムの旧市街とその城壁群

金色に輝いているのが岩のドームで、ここと隣のアル・アクサ・モスクでは多数のイスラム教徒が礼拝を行っている。一方、岩のドームの下にある嘆きの壁ではユダヤ人たちが祈りを捧げている

金色に輝いているのが岩のドームで、ここと隣のアル・アクサ・モスクでは多数のイスラム教徒が礼拝を行っている。一方、岩のドームの下にある嘆きの壁ではユダヤ人たちが祈りを捧げている

ヨルダン申請、1981年、文化遺産(ii)(iii)(vi)
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレム。神はこの地に置いた基礎石を中心に世界を創造したという。ソロモン王はこの石の上にエルサレム神殿を建てたが、後に西面の壁を残して破壊され、「嘆きの壁」と呼ばれるようになる。イスラム帝国に支配された際に基礎石の上に建てられたドーム型の礼拝堂は「岩のドーム」という。その周囲にはキリストが十字架を背負って歩いた悲しみの道「ヴィア・ドロローサ」があり、ゴルゴダの丘に続いている。

紹介記事はこちら>>聖地エルサレム

イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路

ベツレヘムの星

イエスが産まれた場所に設置された14芒星、ベツレヘムの星

パレスチナ、2012年、文化遺産(iv)(vi)
聖母マリアが救世主イエスを産んだ伝説の地に建つ聖誕教会。4世紀にローマ皇帝・コンスタンティヌスが建設した世界最古級の教会をベースとして1700年の歴史を持ち、現在も数多くの信者が巡礼に訪れている。同時に、ベツレヘムはパレスチナとイスラエルが領有権を巡って争っている土地でもある。

紹介記事はこちら>>ベツレヘムの聖誕教会/パレスチナ

 


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