19世紀、ジュネヴァのアメリカ輸出量はジンの5倍
ビーフィータージン47度
さて、19世紀になってからはどうであったか。19世紀初頭、アメリカ(とはいっても東部が中心)でよく飲まれた酒はまずビール、そしてワイン、ブランデー、ジン、さらにはライウイスキーである。ジンはジュネヴァである。
ジュネヴァは麦芽比率の高いスピリッツをベースにしてつくられているため、モルティな、ある意味ウイスキー的な香味感覚を抱いている。当時はこの味わいが主役だった。実は19世紀の間、ジュネヴァのアメリカへの輸出量はイギリスのジンの5倍を誇っていたといわれている。
また1850年から禁酒法施行(1920~1933)前までの1919年の間もオランダからのジュネヴァ輸出は興隆しつづけたとの記録がある。
それはカクテルブックからも伺える。19世紀後半のアメリカのカクテルブックを眺めてみると、ジンベースのカクテルの項にはジュネヴァもしくはオランダジンの記述が多くみられる。時折、オールドトムジンという加糖された甘口のイングランドジンが登場してくるのである。そして20世紀間近になってロンドンのジンの記述がみられるようになる。
19世紀後半からドライな味わいが誕生しはじめる
イギリスのジンに変革をもたらすのは1830年、アイルランドのイニアス・コフィーによる連続式蒸溜機の発明(翌1831年特許)から後のことになる。まずスコッチウイスキー事業においてグレーンウイスキーの進化につながり、1860年にはモルトウイスキーとの混和によるブレンデッドウイスキーが誕生する。そしてイングランドの蒸溜業者も連続式蒸溜機を導入し、ジンの香味に変化がもたらされる。ただし、なかなかオールドトムジン、甘みをつけた香味からは抜け出せないでいた。イングランドの人々がドライな香味にすぐさま適応できなかったからでもある。
一方、ジュネヴァの単式蒸溜器で蒸溜したグレーンスピリッツは麦芽の香味をしっかりと残しつづけていた。
イングランドのジンが本格輸出されるようになったのは1850年からになる。イギリス植民地にもたらされるだけではなくなったのである。そして次第にロンドンを中心にシャープなキレ味の香味が生まれていく。
雑味の少ないシャープでそれまでになかったライトな風味を持つジンはブリティッシュジン、あるいは主産地のロンドンの名を冠して、ロンドンドライジンと呼ばれた。
1863年にフランスのぶどう畑がフィロキセラの害に襲われ、広くヨーロッパに蔓延していくと、ワインやブランデーが枯渇する。ここでジンとスコッチのブレンデッドウイスキーの需要が増大したのである。
そんな時代の流れのなかでひとつの傑作が誕生する。「ビーフィータージン」である。1876年のことだった。ジンのボタニカルにはじめてセビルオレンジ(ビターオレンジ)を加えたロンドンドライジンであった。(次回ジン・栄光の歴史10へつづく)
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