「ヘルメス」の製品名が意図したもの
1911年「ヘルメスウイスキー」新聞広告
信治郎は1899(明治32)年、若干20歳で起業し、1907(明治40)年にサントリー酒類事業の原点となる甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」(現赤玉スイートワイン)を誕生させた。そこから日本での洋酒文化の開花、浸透を目指し、日本初のモルトウイスキー製造を実現させるとともにスピリッツ、リキュールの名品を世に送り出し、カクテルの世界をも広めていったのである。(『サントリー洋酒文化創造の歴史』参照)
信治郎にそれらの創造の歩みをもちろん聞かせてもらいたいのだが、わたしがひとつ、かなり気になっている製品名がある。前回記事『クラフトリキュール「奏Kanade」新たな和の世界』で「ヘルメス」という製品に触れた。この「ヘルメス」のネーミングが何十年も前からずっと気になっているのだ。
現在、サントリーのリキュールにこの「ヘルメス」シリーズはある。しかしながらかつてはジンやウオツカをはじめとしたスピリッツにも冠されていた。そして最初に冠したのは明治の末、1911(明治44)年に発売した混成酒「ヘルメスウイスキー」である。
信治郎は海外からさまざまな文献を取り寄せて学んでいたようだが、「ヘルメス」のネーミングは明治の時代に洋酒の醸造、蒸溜だけでなく、錬金術の歴史をも学んでいたという証である。
錬金術はヘルメスの術
鳥井信治郎
アレクサンドリアは文化都市として興隆する。ギリシア文化とオリエント文化が融合してヘレニズム文化が生まれたのだが、アレクサンドリアにはギリシア人の知識階級が数多く植民したようだ。ギリシア哲学、医学、物理学、治金術、さらには蒸溜技術が合体した錬金術が発達したのだった。
さて「ヘルメスの術」と呼ばれる訳を説明しなければならない。
まあ正直、なんだかよくわからないが、とにかく錬金術師たちは、あらゆるものを「神の技」として実現させることを探求した。彼らは鉄や鉛といった卑金属を、金や銀といった金属に変成する触媒“賢者の石”(霊薬)の生成のために、蒸溜器を使い実験を試みる。この黄金変成だけでなく、病気を治癒させ、健康にし、不老不死をも目指した。そのためには霊薬である“賢者の石”を得なければならなかった。 そこで「ヘルメス」。まず「ヘルメス・トリスメギストス」(Hermes Trismegistus/3倍偉大なヘルメス)という伝説的な神がいた。ギリシア神話のヘルメス神と、エジプト神話のトート神がヘレニズムの時代に融合したものとされている。どちらも生と死の世界を生き来できる使者であり、学問の神でもあった。そしてギリシアの影響を受けた古代ローマの神、メルクリウス(英名マーキュリー)も同一視されており、この3つの神を「ヘルメス・トリスメギストス」という。
また中世ヨーロッパの神秘思想によれば、伝説的錬金術師ヘルメスは3回転生してこの世で活躍した偉大な賢者「ヘルメス・トリスメギストス」のことになるらしい。
まずはアダムの孫で、ピラミッドを造り、天文の研究したヘルメスがいた。次にメソポタミアのバビロンにいたヘルメスで、医学、数学に優れ、ピタゴラスの師であった人物。そして最後の生まれ変わりの第三のヘルメスはモーセと同時代のエジプトで化学、医学、哲学の賢者であり都市計画にも携わったという。
つまり錬金術師たちが神格化した「ヘルメス・トリスメギストス」とは、その賢者の石を手に入れた人物である、ということらしい。
やがて長い時間を経て「ヘルメスの術」を駆使した実験により化学は進歩し、さまざまな分野の発展につながった。さらにはその副産物である蒸溜酒(ブランデー、ウオツカ、ウイスキーなど)の世界が大きな広がりを見せて現在へとつづくことになる。香料やアロマテラピーの世界も「ヘルメスの術」に起因している。
信治郎はその「ヘルメスの術」の伝説を、明治時代に知っていたことになる。そしてさらに驚かされることがある。(次ページへつづく)