20世紀初頭までアイリッシュが興隆
オーヘントッシャン12年
とくに19世紀半ば過ぎまではアイリッシュの天下であった。スコッチは相手にならず、蒸溜酒のライバルはフランスのブランデー(ただし一般大衆の酒はジン)だった。
アイリッシュの製法の特長に3回蒸溜がある。スコッチはローランドのモルトウイスキー蒸溜所、オーヘントッシャンはいまでも3回蒸溜をおこなっている。グラスゴーでは地元のシングルモルトとして愛されているが、オーヘントッシャン(オーヘントッシャン12年・700ml・40%・¥4,000税別)はアイリッシュの影響があったからだと言われている。
かつてローランドでは3回蒸溜でモルトウイスキーをつくるのが一般的だったようで、スコッチでありながら、第一次世界大戦頃までアイリッシュウイスキーと呼ばれていた。それほどまでにアイリッシュは影響力があったのだ。
19世紀半ば過ぎのブレンデッドウイスキー誕生からスコッチがシェアを伸ばしていったのだが、アイリッシュはモルトウイスキーにこだわりつづける。これが20世紀になり、衰退の要因のひとつとなった。
『モルト対グレーン&ブレンダー/ウイスキー裁判1』の記事でスコッチのハイランドモルト業者と協力し合い、“グレーンはウイスキーにあらず”と法廷まで持ち込んだ。しかしながら1909年、“グレーンウイスキーもウイスキーである”との裁決。ここからアイリッシュに翳りがではじめる。
独立とアメリカ禁酒法の影響で衰退
ターコネル
第一次世界大戦の終戦翌年、1919年。イギリスからの独立のための内戦が起きる。1920年には前述のアメリカ禁酒法。ここから衰退への道を辿ることになる。
アメリカ禁酒法下では、粗悪な密造蒸溜酒に、人気のあったアイリッシュの偽ラベルが貼られて闇市場で売られ、アイリッシュのイメージ低下につながってしまう。
1922年にはアイランド自由国憲法が採択される。ここで南部26州と北部6州に分かれる。イギリスの態度はもちろん硬化する。それ以降、とくに1930年代になると互いに関税を掛け合い、ついには大英帝国の商圏から締め出されてしまう(正式な英連邦脱退は1949年。アイルランド共和国となる)。
タラモアデュー
ヨーロッパ戦線でアメリカ兵たちはスコッチが飲めたのだ。戦後のアメリカでスコッチ人気が高まったのは当然のことである。
モルトウイスキーにこだわったアイリッシュから初のブレンデッドウイスキーが誕生したのは1947年のことだった。「タラモアデュー」(700ml・40%・¥2,000税別)である。(その3アメリカンの記事へ)
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