北京/北京の観光・世界遺産

東京ドーム62個分!中国最大の皇室庭園・頤和園の魅力

頤和園は乾隆帝や西太后など、歴代皇帝や妃がこよなく愛した夏の離宮。その建築に国の財力を投じすぎたため、 清朝滅亡が早まったとさえいわれる贅を尽くした御苑で、北京にある世界遺産の中でも圧倒的な存在感です。このページでは、そんな頤和園の魅力をあますことなくお伝えします。

鈴木 晶子

執筆者:鈴木 晶子

中国ガイド

歴史文化が今も息づく清朝の夏の離宮~頤和園~

頤和園「昆明湖全景」

万寿山から昆明湖を見下ろした景色。壮大なスケールに圧巻!

頤和園「夕暮れの万寿山」

幻想的な夕暮れの頤和園。それぞれの季節や時間帯で違った美しさを体験できる

頤和園(いわえん)はいにしえの皇帝や妃たちが愛した夏の離宮。広大な敷地内に宮殿や寺院がちりばめられた様は、華やかな中国文化の粋を集めた、まさに極上の空間です。ここではそんな頤和園の情報をご案内します。リピーターの人でも新しい発見があるよう、細部まで深く掘り下げてみました。

<DATA>
頤和園
住所:海淀区頤和園
TEL:010-6288-1144

入場&料金:4~10月 6:30~18:00(観光スポットは8:30~17:00)、30元(フリーパス60元)/11~3月 7:00~17:00(観光スポットは9:00~16:00)、20元(フリーパス50元)
※本ページで紹介する定番コースはメインスポットを網羅しているので、チケットはフリーパスを買うのがお得。ちなみに各観光スポットのチケットは、文昌院20元、仏香閣エリア10元、蘇州街10元、徳和園5元
アクセス:地下鉄4号線「北宮門」駅から新建宮門まで徒歩30分、東宮門まで徒歩15分、北宮門まで徒歩1分。一般的には正門の東宮門から入園して、北宮門から出る
※地下鉄4号線「西苑」駅から新建宮門や東宮門まで歩けるが、「北宮門」駅からよりもやや遠い
 

頤和園とは?

頤和園「万寿山、昆明湖」

万寿山とその前に広がる昆明湖。人工のものとは思えない大きさ

頤和園「昆明湖」

万寿山からのビュー。天気のよい日は湖の遥か彼方まで見渡せる。

頤和園は北京の中心地から西北12キロほどのところにある、中国に現存する最大の皇室庭園。1998年にユネスコの世界文化遺産に登録され、2015年には故宮博物院御花園、円明園、天壇公園などと共に北京歴史名園に指定された北京を代表する観光スポットです。

頤和園は中国最後の王朝清の皇帝たちが離宮として長期滞在した場所です。そのため、園内は遊覧施設だけでなく、政治を行った政務区や普段暮らした生活区などの宮殿、信仰のための宗教施設が点在しています。

庭園の総面積は約290万平方メートル、東京ドームに例えるなら約62個分。その4分の3は昆明湖なのですが、この湖はなんと人の手で掘った人工のもので、その北側に聳える標高60メートルの万寿山は、湖の掘り土で造ったというのですから、あまりの壮大なスケールに驚かされます。

暑い氷で覆われる冬の昆明湖は、2022年の北京冬季五輪に向けてウインタースポーツを盛り上げようと、2014年より市民のスケート場として開放されています。毎年1月初旬から2月初旬までで、時間は8:30~16:30まで。スケートリンク自体は無料ですが、ソリなどをレンタルするには料金がかかります。
 

頤和園の歴史

頤和園「景福閣」

万寿山の北側にある景福閣。修繕されないままの貴重な建物

頤和園「住居」

人気のない建物の向こうから、いにしえの貴人がふと現れそうな雰囲気

頤和園にある北京西北部は、12世紀に北京を支配していた金王朝がすでに皇室庭園を造っていたといわれますが、頤和園の前身となる清イー園が建設されたのは清代の全盛期、乾隆帝の時代。皇帝が母の還暦を祝い、乾隆15年(1750年)に着工、15年の月日を経て、乾隆29年(1764年)に完成しました。

その後、清朝の国力衰退に伴い、清イー園は次第に荒廃していきます。それに追い打ちをかけるよう、咸豊10年(1860年)、第二次アヘン戦争で英仏連合軍によって破壊されてしまいました。
 
頤和園「智慧海壁面の仏像」

智慧海壁面の仏像。文革期に顔が破壊されたものもあったが、今は修復されている

そして清朝末期・光緒帝の時代、1884~1895年にかけて、時の権力者西太后の夏の避暑地として再建されました。頤和園と改名されたのはこの頃です。しかし、再建の経費は莫大なもので、諸外国の侵略をはじめとする内患外憂に対応すべく軍備増強を必要とする清朝には、大きな負担となりました。にもかかわらず、西太后は軍事予算を流用し、乾隆帝時代の清イー園よりも更に豪華で煌びやかな離宮を造り上げたのです。頤和園の再建が清朝滅亡の原因のひとつになった…… ともいわれています。

再建後まもない1900年、義和団事変で八カ国連合軍が北京に侵入し、再び破壊されてしまうのですが、西太后の頤和園への愛着はすさまじく、1902年に巨費を投じて復旧させました。これが現存する頤和園というわけです。
 
頤和園「紫気東来城関」

万寿山東側にある紫気東来城関。有事の際は門を閉じ、防衛のための関となった

清朝滅亡後は皇室の私有財産となり、1914年から有料で一般開放されます。その後、1924年にラストエンペラー溥儀が紫禁城から追放されると、頤和園は国の公園となりました。1949年に中華人民共和国が成立すると、頤和園には共産党中央党校が設置されたり、幹部の居住地とされたりしましたが、1953年以降、頤和園は再び公園となり一般公開され、今に至ります。

歴史の荒波に翻弄され、破壊と再建を繰り返した頤和園。広大な庭園を歩いていると、かつての権力者たちのこの離宮への想いが、感じられるような気がします。

さて、次ページでは、知っておくと役立つ頤和園観光のお役立ち情報をいくつかご案内します。
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