1 銅牛

頤和園「銅牛」

背中にある文字は「金牛銘」という80字の銘文

新建宮門を入ってすぐの湖畔にある、鎮水を司るという神獣。牛には水を鎮めるという信仰があり、1755年、乾隆帝が水難から守るという願いを込めて建設しました。
 

2 十七孔橋

頤和園「十七孔橋」

蘇州の宝帯橋、北京の蘆溝橋と並んで連続アーチ橋の代表格とされる

頤和園「十七孔橋の獅子」

欄干の上の獅子。後方に見えるのはメインエリアの万寿山

昆明湖に浮かぶ南湖島と陸とを結ぶ石橋。昆明湖の南北中心部にあり、湖の全景を見渡せる絶景スポットとして有名です。

長さはおよそ150メートルで、頤和園にいくつかある橋の中で最も大きな橋。当時の優れた橋梁技術をうかがえる、貴重な文化遺産です。

橋を支えるアーチが17個あることから、十七孔橋と命名されました。乾隆帝が盧溝橋を模して作った橋で、欄干の544匹の獅子も盧溝橋と同様、 1匹ずつ姿や表情が異なります。
 

3 南湖島

頤和園「南湖島」

島の北岸にある涵虚堂。ここからの眺めは最高

昆明湖に浮かぶ3つの島のうちのひとつ。島内には龍王を祀る龍王廟と香樹の名木があります。

南湖島を観終わったら、十七孔橋を戻って昆明湖沿いに万寿山を目指して北上していくと、次の文昌閣が見えてきます。
 

4 文昌閣、文昌院、耶律楚材祠

頤和園「文昌閣」

知春亭から見た文昌閣。文昌院は文昌閣の東側に隣接する

頤和園「耶律楚材祠」

普段は門が閉ざされている耶律楚材祠。時々、門が開いていて中がのぞけることも

頤和園の6つの城門建築の最大のもの。文昌閣 という名前は文昌帝という道教に出てくる学問の神様に由来します。城門内には文昌帝と仙童と騾馬の青銅像が奉ってあります。

文昌院(有料)を入ってすぐの左手に耶律楚材祠(元の名宰相・耶律楚材の墓)があるのですが、2015年2月現在、公開されていません。

文昌院は西太后が収集した宝物や陶器を展示する博物館となっています。

文昌院を観終わったら文昌閣まで戻ります。前方左手(北西)に見えるのが、次の知春亭です。
 

5 知春亭

頤和園「知春亭」

知春亭から万寿山をのぞむ景色は美しいことで有名

昆明湖の東岸、玉瀾堂の前に浮かぶ小島に佇む東屋。この周りの風景を見て春を知ったというのが名前の由来。初夏は満開のハスの花が美しいことで知られています。

次は皇帝や皇后が暮らしていた生活区へと入っていきます。湖と逆の右方向(東)へ進んでいきます。
 

6 仁寿殿

頤和園「仁寿殿」

この銅製麒麟は、1937年に円明園から移されたもの

頤和園「仁寿殿」

「大圓宝鏡」と書かれた扁額は、西太后自筆のもの

大きな麒麟(きりん)のある建物が仁寿殿です。1750年に建設された皇帝が政務を執った場所で、当初は勤政殿と呼ばれていましたが、1886年に再建した際に『論語』の「知者は楽、仁者は寿」というくだりから「仁寿殿」と改名。清代末期、西太后はここで外交や内務を行なっていました。

現在、建物に近づけないように柵で囲まれてしまっているので、あまりよくは見えないのですが、殿内の中央には西太后の使った宝座があり、金屏風が置かれています。

次は北方向に歩いて、西太后が京劇を楽しんだ徳和園へと向かいます。
 

7 徳和園(大戯楼)

頤和園「大戯楼」

大戯楼。2013年に大規模改修が行われ鮮やかに蘇った

頤和園「大戯楼」

極彩色の美しい大戯楼の天井。天井の穴から上階へ行ったり来たりした

徳和園(有料)は、乾隆帝が建設した怡春堂を、芝居好きの西太后のために改築した大戯院。園内には大戯楼を造らせ、頤和園に来るたびに観劇を楽しみました。

大戯楼は故宮博物院(紫禁城)の暢音閣、承徳避暑山荘の清音閣と並ぶ、清代三大戯楼のひとつ。3階建て、高さ21メートルで、現存する最大規模の京劇舞台です。舞台には三階まで吹き抜ける「天井」と、舞台下の「地井(奈落)」があり、役者たちは「天」から降りてきたり、「地」から登場したりしたそうです。
 

8 玉瀾堂

頤和園「玉瀾堂」

光緒帝が軟禁された悲しい物語の舞台

清代歴代皇帝たちが、詩会や大臣との会議など、様々な行事を執り行った場所です。戊戌政変の失敗後、光緒帝が軟禁された場所としても有名で、西太后の住居・楽寿堂と比べるとそのあまりの質素で寂しい雰囲気に、当時の傀儡政権を感じずにはいれません。