俳諧の始祖、山崎宗鑑への憧れ
山崎蒸溜所に向かう旧西国街道
前回の7回『秀吉・利休と山崎』でも触れたが、この地を走る旧西国街道が歴史的に大きな役割を担いつづけ、西へ東へ多くの偉人たちがこの道を行き交った。
俳聖、松尾芭蕉も1688年の西遊の折りに山崎を訪ねている。『奥の細道』へと旅立つ2年前のことになる。
芭蕉は山崎宗鑑、千利休、雪舟といった人たちへの憧れが強かった。侘び、寂びの精神を熟成させる上で多大な影響を受けているという文献もある。この3人の中で宗鑑、利休のふたりが山崎と縁が深い。
とくに俳諧の始祖とされる山崎宗鑑は山崎に暮らした。宗鑑はもともと武士だった。室町幕府の9代将軍足利義尚につかえていたが1489年頃に出家して、山崎に暮らしはじめる。
山崎の油商人たちの後ろ盾もあり、やがて連歌の世界の第一人者となってく。山崎で連歌の会を開いたり、俳句の手ほどきをしたと言われている。とくに晩年に『新撰犬筑波集』を発表して、俳諧の創始者との評価を得るまでになった。
芭蕉の句碑
「ありがたき 姿おがまむ 杜若(かきつばた)」
宗鑑の家はJR山崎駅から旧西国街道を山崎蒸溜所へと向かう途中、ちょうど京都と大阪の境にあたる場所、関大明神の向かい側にあったとされている。現在その近くの旧家の表門脇にこの句碑がある。
山崎蒸溜所を訪ねた際は探していただきたい。旧西国街道を歩いていれば簡単に見つかる。
ではシングルモルトウイスキー山崎12年の香味を堪能してみよう。京の都の華やぎ、風雅を伝えながら、どこか侘び、寂びの閑寂さが潜んでいるような味わい深いものがある。(撮影・川田雅宏)
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