山崎は日本の油発祥の地
離宮八幡宮
平安時代の末頃から荏胡麻油(えごまあぶら)生産が開始された。現JR山崎駅の駅前にある離宮八幡宮がその油発祥の地である。中世には油座の本所がここに置かれ、中世商業の座の中でも最も有力で大きな組織だった。
神事や社務の補助をつとめる神人(しんじん・じにん)たちに油の製造、販売の独占権が、長年にわたり与えられ、彼らは油商人として近郊へは天秤棒をかついで灯油を売り歩き、遠方へは商隊を組んで販売に旅立った。鎌倉、室町時代と独占権は強まり、油を販売するだけでなく、出かけた土地の特産品を仕入れ、それを京の都へ運んで販売するという合理的な商いをつづける。
その象徴が司馬遼太郎著『国盗り物語』の主人公、斎藤道三。彼は油商人として財をなし、戦国乱世をのし上がっていった。
離宮八幡宮の境内にある油発祥地の碑
この歌は『七十一番職人歌合』(1500年頃)に収録されている。誰が詠んだのか、山崎の油商人の忙しさを見事に表現したものだ。
ちなみに職人歌合(しょくにんうたあわせ)とは中世の職人を題材にしている。職人の姿も絵に描かれており、職人歌合絵巻、職人歌合絵草紙とも呼ばれる。貴族が自分たちとは異なる社会に生きる人々を詠んだものであり、和歌とは趣の異なる狂歌に分類されている。
世界に誇るモルトウイスキーの地
現在は世界で愛されるモルトウイスキーを生む
長者の校倉が鉢に載せられて生駒の信貴山まで空を飛び、長者の懇請で米俵が群雀のように鉢に連れられて飛び帰るという不思議な物語である。
ただし、織田信長の楽市楽座の政策により打撃を被るとともに菜種油の時代となり、江戸時代になると荏胡麻油は衰退していく。
そして1923年10月。モルトウイスキー蒸溜所、サントリー山崎蒸溜所の建設がはじまり、日本の本格ウイスキー発祥の地として新たに生まれ変わる。
校倉はなくなったが、モルトウイスキーが眠る貯蔵庫が建ち並ぶ地となり、現在はジャパニーズウイスキーの枠を超え、日本が世界に誇れるウイスキーの地となった。(撮影/川田雅宏)
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