尊氏も遭遇した山崎のしぐれ
天王山の懐に抱かれた山崎蒸溜所
これは室町幕府の初代征夷大将軍、足利尊氏が詠んだ歌である。
1351年正月、尊氏と弟の直義との政争、観応の擾乱(かんのうのじょうらん)において尊氏は山崎に、直義は淀川を挟んだ対岸の男山にある岩清水八幡に陣取った。
兄弟同士討ちの対陣中に、尊氏は山崎の地特有の地形性降雨を目にしている。山崎は秋冬の早朝、放射霧が生まれやすい土地だが、どうやら冬のしぐれに出会い、その状況を詠んだものらしい。
山崎蒸溜所周辺には竹林が多い
しかも三川合流地点は京都盆地と大阪平野が接する位置にあり、足利尊氏が滞陣した山崎の背後、標高270メートルほどの低山性丘陵の天王山と、直義が滞陣した標高143メートルの男山の間はわずか1キロあまりしかない。自然の狭い関門に、三川が合流するという特異な地形が霧を発生しやすくもしている。
ミストがモルトウイスキーを優しく包み込む
湿潤な風土でモルトは熟成していく
こうした湿潤な風土がモルトウイスキーの樽貯蔵にふさわしく、長い年月にわたる熟成によって麗しい香りと味わいを生む。
ジャパニーズウイスキーの創始者、鳥井信治郎に先見の明があったといえるだろう。
信治郎は山裾をたなびく霞に、やがて琥珀色に輝き、エステリーと呼ばれる花や果実のような甘く華やかな香味を想い描いたのかもしれない。
もちろん信治郎のブレンダーとしての才能と研鑽を忘れてはいけないが、樽貯蔵にふさわしい風土が日本初の本格ウイスキー『サントリーウイスキー白札』(1929年発売/現ホワイト)からより熟成感のある、21世紀のいまも愛されつづける『角瓶』(1937年発売)の香味へと高めていく要因となった。
いくら優れたブレンダーがいたとしても、さまざまな表情を持つ麗しい熟成をしたモルトウイスキーが揃っていなければ、高品質な味わいは生まれようがない。
モルトウイスキーには生まれ育った地の気候風土とつくり手の想いが色濃く反映される。(撮影/川田雅宏)
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