米国は先発明主義で特許制度
ヨーロッパからの技術導入で工業化を開始したアメリカは、1787年に憲法制定の際、第1条で特許権に言及している。そして1790年には連邦特許法が制定されたのである。先発明者主義の内容であり、世界で2番目の特許法となる。第16代大統領リンカーンは、特許権による強い保護政策を進め、プロパテント(特許重視)政策を打ち出した。“特許制度は、天才の火に、利益という油を注いだ”との名言を残している。そしてエジソンら発明家が活躍し、ロックフェラー、カーネギーといった大企業や財閥が生まれたのである。
1791年、フランスにも特許法が制定される。当初は無審査主義で進めていたが、世界の情勢に合わせて、1978年に審査主義へ移行している。1877年にはドイツでも特許法が制定された。
日本は専売特許条例を公布
わが国に特許制度が出来るきっかけは、福沢諭吉から始まる。ヨーロッパ使節団の一員として、諸国を訪問し諸制度を見聞した諭吉は、帰国後に書いた「西洋事情」の中で、特許制度について紹介している。そしてこの出版から20年後に「専売特許条例」が公布されることとなる。この「専売特許条例」の立案、公布は高橋是清によって行われた。高橋是清は「大英百科辞典」やイギリスの「専売条例」をもとに、特許研究を進め、また工業化の進んだ欧米諸国の現状を目の当たりにし、遂に明治18年4月18日に「専売特許条例」を公布したのである。
そして次ページのように初代専売特許所長が生まれた。