ひなあられ、東西(関東/関西)では味も形も違う!?
あなたの記憶の中ではどっち?左右で全く違うひなあられ
大阪でひなあられを探したら、見た目も味も全然違うものしかなかったのです。そこで今回は、東西のひなあられ事情をご紹介します。
関東と関西のひなあられの違い、見た目・形や味が違う!
【関東のひなあられ】 米粒大で甘い、関東のひなあられ。米を爆(は)ぜて作ったポン菓子を砂糖などで味付けしたものですが、今はメーカーによって作り方も異なるようです。「日頃からお釜に残ったご飯粒を干して保存しておき、その干し飯をあぶって作った」「米をじかに炒って作る爆米(はぜ)という菓子が江戸ではやっており、それを『ひなあられ』と命名したから」など諸説あります。【関西のひなあられ】 関西のひなあられは、直径1センチ程度の大きさがあり、しょう油や塩などで味付けしてあります。餅からできており、いわゆるあられです。もともと雛祭りにかかせない菱餅を砕いて炒ったのが始まりとされています。
ひなあられの由来・意味・ルーツ
そもそも、どうしてひなあられができたのでしょうか? ひなあられのルーツは、その昔、野外でひな遊びを楽しむときに持って行くための携帯食料だったと考えられています。雛祭りは様々な変遷を経て今の形になりましたが、女の子たちが雛人形を持って野辺、川辺、磯へ出掛けてお雛様に春の景色をみせてあげる風習があり(これを「雛の国見せ」といいます)、その時に春のご馳走とともにひなあられを持っていったといわれています。菱餅を外で食べるために砕いて作った、という説もあります。詳しくは「ひなまつり・桃の節句~本当の由来」もご覧ください。
関西風と関東風のひなあられ、どちらが元祖?
ではどちらが元祖になるのか? これには諸説ありますが、前述のひな遊びは平安時代の宮中や貴族たちから始まったものですし、京菓子司(宮中御用達のお菓子職人)が発案したという話もあり、ひなあられは京都が発祥、つまり関西風が元祖だと考えるのが妥当かもしれません。節句に欠かせないお餅(雛祭りなら菱餅)を使っている点も理に適っています。広辞苑や辞書などでは、ひなあられ=米菓子という関東風を主に採用していますが、五節句は江戸幕府によって定められたものなので、主流が関東風になっても不思議ではありません(こうした例は、他にもたくさんみられます)。
ひなあられの変化と現代事情
甘い関東風のひなあられはお菓子として、醤油や塩味の関西風はお菓子や酒の肴として発展したという説がありますが、これも定かではありません。また、現代は商品が増え、ピーナッツや大豆を甘くコーティングしたものや米粒大よりも大きな形をしたものが関東風でも多くなり、関西風にはマヨネーズ味やチョコレート味など多様な味が登場しています。
ちなみに、東海や北陸では両方を売っている場合も多く、消費者の嗜好や流通・情報の発達により、関東風・関西風の垣根がどんどん低くなっているようです。
ひなあられの色
一般的に赤(桃色)、白、緑に彩られていますが、これは菱餅の色と同じです。菱餅を砕いて作ったという経緯が最大の要因でしょう。黄色を入れて四季をあらわしたりする場合もあります。詳しくは「菱餅の由来や色の意味・重ね方の順番や食べ物」の記事もご覧ください。【関連記事】