バーボンをメジャーにした南北戦争
アーリータイムズのラベル。上部に1860とある。 |
その翌61年から南北戦争がはじまる。リンカーンは北軍の兵站地を自分の出身地であるケンタッキー州においた。ケンタッキーといえばバーボンである。ちなみに兵站(へいたん)地とは作戦遂行上、後方にあって、軍需品の補給・修理、連絡網の確保などをおこなう機関が置かれるところ。
これがバーボンにとっては追い風となった。兵站地となったことでバーボンが各地の戦場へ送られ、その存在を広く知られることになったのだ。この頃はライ麦からつくるライウイスキーが主流で、バーボンはその次に位置していた。余談だが、現在アメリカンウイスキーといえばバーボンと皆答える。でもバーボンがアメリカンウイスキーのシェアで50%を超えたのは南北戦争から100年後の1963年のことになる。
さて、4年つづいた南北戦争の後、需要が増したウイスキーは禁酒運動の集中砲火を浴びることになった。アメリカの禁酒運動の歴史は非常に長いものがある。そして強力だ。1826年にボストンに節酒推進協会が発足。ピューリタンの厳格なまでの伝統から起こったもので、1851年にはメイン州が禁酒州となり、56年には全国禁酒同盟が結成されている。
こうした動きが20世紀初めの禁酒法成立へとつながっていく。1920年からつづいた禁酒法を撤廃したのは、フランクリン・ルーズベルトだった。1933年、32代大統領に就任後すぐのことだった。
では今回はここまで。次回はセオドア・ルーズベルト、トルーマン、ケネディの3人の大統領のエピソードを伝える。皆さんの酒の肴になれば、と思う。
とりあえず今夜は、アーリータイムズを飲んでみてはどうだろう。
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