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思い出トランクに詰めた酒の話。第1話 アイビーの神様のカクテル(2ページ目)

いろんな方々からこれまでにお聞きした、酒にまつわるちょっといい話を伝える新シリーズ。思い出というトランクに詰めた話の中から、1回目は先月亡くなられた服飾評論家の石津謙介氏のエピソードを紹介しよう。

協力:サントリー
達磨 信

執筆者:達磨 信

ウイスキー&バーガイド

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もうひとつの特別な話とは何か。
それは石津謙介氏の終戦の日の夜に飲んだカクテルの思い出だ。

石津氏は戦時中、中国は天津でファッション関係の会社にいた。終戦の年の前年には日本降伏の情報が流れていて、会社は閉鎖となり、社員全員が軍関係の仕事に就いた。
終戦の日は身辺整理だけ。いつでも逃げられるようにしてあった。

終戦の夜の、ウオツカ・マティーニ

1945年8月15日夜。石津氏は友人3人と天津の租界(外国人居留地)の白系ロシア人宅へ隠れた。
いつ暴動が起こっても不思議ではない。いつ殺されてもおかしくない。そんな不安定な心理状態にありながら誰も不安を口にしない。口に出してもはじまらないからだった。
緊迫した状況下で、酒だけが唯一のなぐさめ。半分ヤケッパチで飲んだ。


ロシア人の家にはウオツカがあった。中国でつくった純度の低いお粗末なシロモノ。あるだけましで、たまたまあったヴェルモットをミックスしてウオツカ・マティーニをつくって飲んだ。
「旨かったのか、マズかったのか、忘れてしまいました。いま思い返すと、なんとも不思議な時間を過ごしました」
石津氏はそう言うと、「これが最も印象的なカクテルの思い出」とつづけ、淋しく懐かしいようなとても複雑な笑い顔を見せた。

石津氏死去の訃報に接した夜、私はウオツカ・マティーニを飲もうとした。あいにくウオツカが自宅になく、ヴェルモットはいつ封を開けたかも忘れてしまった鮮度の悪いシロモノになっていた。
どうしようか、と悩んだ末、日本を代表するブレンデッドウイスキー、響17年を飲むことにした。
生前、いいお話を聞かせていただいた感謝の念が天界まで響いて欲しいとの願いから、そうした。

いま石津氏の思い出を書き終えて、また響17年を飲もうとしている。今度は、ジョージのレシピ、終戦の日のマティーニの話を17年ぶりに公表しました、おゆるしください、と陳謝の念が天界まで響いて欲しいからだ。
これからじっくりと、しみじみと響17年を飲む。

響17年に関してもっと詳しく知りたい方は、初心者にすすめる、一瓶。第一回『グレーンはダシ、モルトは味噌』をどうぞ。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
※メニューや料金などのデータは、取材時または記事公開時点での内容です。
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