香港の茶荘へ |
出会いは香港の路地裏の茶荘
「まあ、お茶を一杯どうぞ」旅の土産を探して、ふと路地裏にある中国茶専門店に立ち寄った私に、年配の女性が小さな茶杯を差し出してくれたのは、もう10数年も前のこと。これが中国茶との出会いでした。
春にはまだ若干間がある季節。香港に駐在する義弟を尋ねたプライベートの小旅行で、友人にお土産をと思い踏み込んだ咀沙嘴(チムサッチョイ)の路地裏。10数年前といえばまだ中国に返還される前で、街に一歩踏み出すとまだまだ香港らしい雑然とした雰囲気がまだ残っている時代でした。
中国茶はジャスミン茶とプーアル茶、それに烏龍茶という知識しかなかった私が受け取った小さな茶杯からは、花のような香りが立ち、緑茶を若干濃くしたような色の中国茶が少し波打っていました。そのお茶がなんであるか、そのときはまったく分からなかったのですが、これが鉄観音との初めての対面でした。
一杯の茶杯の香りに酔う |
しかし、中国茶の魅力は実はそれだけではなかったのです。
飲み終えた茶杯を戻そうとする途中で、私の差し出した茶杯は押し返されてしまいました。
「空になった茶杯の香りも楽しんで」その女性はにこやかに、そして上品な手つきで香りを嗅ぐ動作をお手本としてやって見せてくれました。
卵の殻のような薄く小さな茶杯に鼻を近づけてみると、まるで黒糖のような濃厚な香りが立ち上り、さらに時間とともに甘さが増していくのがわかりました。このとき、私はすっかり鉄観音に恋してしまったのでした。
安渓鉄観音 |
安渓観音の秋茶で感じた奥深い味わい
もともと紅茶、特にダージリンばかり飲んでいた私には、中国茶の多様性はとても面白く感じられました。中国茶専門店でお茶を試飲させてくれた女性は、「英国紅茶とは全然違うのよ」と、中国茶を飲むときの作法を丁寧に教えてくれました。
彼女がやって見せてくれたお茶の飲み方は、少し背筋を伸ばし、親指と中指で茶杯の縁を押さえ、薬指で茶杯の底を押さえる。そして人差し指で口を隠すようにし、ズッと茶をすする、というものでした。聞くところによると、茶杯の茶は3口で飲むのが良いというのです。
まずは一口分を口に含み、茶を静かに舌の上に乗せて転がしたあと、喉の奥へと落とし込む。「爽やかで、甘味を伴ったお茶の味がじんわりと口の中に広がっていくでしょ」
確かに、意識をすると舌全体で茶の味を感じることができました。今度はもう少し多めに含んでみます。
安渓の茶畑 |
茶の味わいは、香りをバランスよく感じられてこそ増すものだと、そのとき気が付いたことを今でも覚えています。
茶に少し空気を含ませてやるだけで、口の中で香りが拡散していくのです。「空気とお茶をまわしたら、そうっと空気だけ鼻から外へ逃がしてあげるのです」
華やかな香りを静かに飲み込んで、大きく息を吸い込んでから細く細く吐き出すと、さらに甘い香りが戻ってきて、あたかも香りが体全体を包んでくれるような錯覚に陥りました。
そのときの茶が福建省安渓県で作られ、香港で火入れをされた鉄観音の秋茶であることを知ったのは後になってからのこと。もちろん紅茶にもファーストフラッシュとかセカンドフラッシュという季節ごとの茶があることは知っていましたが、中国秋茶の味わいと香りの深さがこんなに豊かであることに新鮮な驚きを覚えたのを今でも鮮明に記憶しています。
そして、そこから私の中国茶への道がスタートしたのでした。