カジュラホの建造物群
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院のミトゥナ。ヒンドゥー神話を描いたレリーフや女神像アプサラと一緒に、様々なミトゥナが彫り込まれている
9世紀、チャンデッラ朝によって建造されたヒンドゥー教とジャイナ教の遺跡群。壁一面に彫られたセクシーな女神像アプサラと、様々なSEXを描いた交合像ミトゥナのバリエーションは他に類を見ないほど多彩で、あらゆる体位はもちろん、複数や動物とのSEXを表現したものまである。古代インドの人々は生命をつなぐ性の力=シャクティこそ力の根源だと考え、男女はもちろん、家族や人類、動物を結びつける「愛」を何より重んじ、賛美した。
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ブッダガヤの大菩提寺
ブッダガヤの菩提樹。奥にあるのがマハーボディ。僧が世界中から集まってきて、それぞれのやり方で祈りを捧げている
紀元前5世紀前後、釈迦は菩提樹の下で瞑想を行い、ついに悟りを開いてブッダ(目覚めた人)となる。その菩提樹があった場所がブッダガヤで、いまも3代目といわれる菩提樹が枝を広げている。横にあるのが大菩提寺、マハーボディで、『西遊記』で有名な三蔵法師(玄奘)もここを訪れており、その様子が『大唐西域記』に書かれている。ブッダガヤには日本寺やブータン寺、タイ僧院など各国の寺があり、世界中から集まった僧たちが修行している。
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ハンピの建造物群/インド
マタンガの丘から見たハンピの建造物群。白いピラミッドはヴィルパークシャ寺院の東コプラム(塔門)
14~17世紀に栄えたヴィジャヤナガル朝の古都ヴィジャヤナガル(ハンピ)は、40以上の寺院・宮廷を備えた首都として、あるいはヒンドゥー教の聖地として大いに繁栄した。しかし17世紀にイスラム勢力によって徹底的に破壊されると、廃墟となって人々の記憶から消え失せてしまう。ドラヴィダ様式の廃墟群、デカン高原の広大な大地、無数に転がる奇岩群、敬虔なヒンドゥー教徒が暮らす小さな農村……現在のハンピは自然と遺跡が融合した絶景で人々を魅了する。
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サマルカンド―文化交差路
サマルカンドのレギスタン広場。左からウルグベク・メドレセ、ティラカリ・メドレセ、シェルドル・メドレセ。メドレセとはイスラム神学校のこと
紀元前からソグド人のオアシス都市として発展し、ヨーロッパとアジアを結ぶ要衝として繁栄したサマルカンド。しかし1220年、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍が住民を虐殺し、街を徹底的に破壊してしまう。街は廃墟となるが、14世紀にティムールが帝国の首都として再建。ティムールは世界各地の遠征先から職人や学者、芸術家を集めて街並みを整理し、美しいタイルと精緻なアラベスクで飾られたモスクを造り、世界一美しいといわれる「青の街」を築き上げた。
パルミラの遺跡
世界一夕景が美しいといわれる「バラの都」パルミラ。写真は夕陽に燃えるローマ記念門 ©牧哲雄
メソポタミアと地中海・北アフリカをつなぐオアシス都市パルミラ。メソポタミアからシリア砂漠を命からがら越えてきた隊商にとって、緑広がるパルミラは救いの都で、この街を「ナツメヤシの都」と呼んでいた。パルミラが繁栄するのはアレクサンドロス大王のマケドニアがこの地を支配して以降で、ローマ帝国の庇護を受けると急速に発展した。3世紀に女王ゼノビアがローマからの独立を図るがアウレリアヌス帝に敗れ、パルミラは破壊されて廃墟となる。
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クラック・デ・シュバリエとカラット・サラディン
映画『アラビアのロレンス』のロレンスが「世界でもっともすばらしい城」と評したというクラック・デ・シュバリエ ©牧哲雄
1096年、ローマ教皇ウルバヌス2世は第1回十字軍を派遣し、エルサレムをイスラム教徒の手から強奪し、周囲の山々に城を築いて防衛線を張った。その一部が「天空の城」クラック・デ・シュバリエとカラット・サラディンだ。1187年、英雄サラディンがエルサレムを奪還。カラット・サラディンを2日で落とすが、クラック・デ・シュバリエはひと目見て攻略をあきらめた。堅牢不敗を誇った城のデザインはヨーロッパの築城法に大きな影響を与えた。
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