親子2代マスターブレンダーの旅
エディ(左)とジミー(右)親子
「ワイルドターキー」の誕生は1940年。以来、“True Bourbon”(真のバーボン)と呼ばれ、世界中で愛されつづけている。
有名なブランド名エピソードがある。1855年創業のオースティン・ニコルズ社の当時のオーナー、トーマス・マッカーシーが友人たちとの七面鳥狩りの際、貯蔵庫にあった101プルーフ(アルコール度数50.5度)のバーボンを持参。狩って食した七面鳥よりもそのバーボンのほうが大好評となり、仲間のひとりが「ワイルドターキー」と呼んだことに由来する。
さて、これまでの記事ではビーム一族の6代目ブッカー・ノー、7代目フレッド・ノー親子の「ブッカーズ」や「ノブクリーク」などのクラフトバーボンに情熱を傾けた姿を語ってきたが、この「ワイルドターキー17年マスターズキープ」もまた、ワイルドターキー蒸溜所のラッセル親子のクラフトマンシップを物語る究極のプレミアムバーボンといえる。
ワイルドターキーは3代、4代とマスターブレンダーをラッセル親子で継承していることでも名高い。しかも親子で同時にマスターディスティラーを務めているのも、ウイスキー業界では極めて稀である。
3代目ジミー・ラッセルは1954年、19歳からターキー一筋。マスターディスティラー在任歴世界最長であり、すでに伝説的クラフトマンである。4代目エディ・ラッセルは1981年より父の背中を見つめながら厳しい修業に耐え、就任した。
この「ワイルドターキー17年マスターズキープ」はエディ初の製品リリースである。ではその誕生物語をはじめよう。
ターキーは200マイルの時空を超えて飛び立った
ワイルドターキー17年マスターズキープ
樽熟成は環境が大きく影響する。ワイルドターキー蒸溜所伝統の木造貯蔵庫だけでなく、フランクフォートの石造りの貯蔵庫での熟成により、新たな香味世界を創造できるのではないか。エディはそう考えていた。
エディの父、3代目マスターディスティラー、ジミー・ラッセルは息子の挑戦に静かに頷く。伝統と遺産を守ることが最重要だが、香味創造を怠れば未来は拓けない。創造は、クラフトマンの使命といえるものである。
1997年。樽詰めされたニューメイクが200マイル離れた貯蔵庫へと旅立つ。2~3メートルほどの跳躍か、驚いたときの低空飛行しかできないはずのターキー(七面鳥)の飛翔、まさかのロングフライトだった。それは新たな香味創造の長い旅のはじまりでもあった。
次ページでは200マイル離れた、ふたつの貯蔵庫での熟成を見守るエディの姿を語るとともに、その香味について述べてみる。(次ページへつづく)