わずか16名の少女たちから始まった劇団が、100周年を迎えた奇跡……。
様々な困難に遭いながらも新しいものを求め、今に繋いだ軌跡……。
そこにいつも あったたくさんの輝石……。

宝塚歌劇団100年へのキセキのひとコマをご紹介いたします。
――Part13「『華麗なる千拍子』~芸術祭賞」――

■宝塚歌劇団100年へのキセキ
Part1「小林一三が目を付けた宝塚村」
Part2「タカラジェンヌの意外な誕生秘話」
Part3「宝塚歌劇 第一回公演はお伽噺」
Part4「宝塚音楽学校の移り変わり」
Part5「宝塚大劇場の変遷」
Part6「東京宝塚劇場の変遷」
Part7「『モン・パリ』~レビューの誕生」
Part8「『パリゼット』~レビュー黄金時代」
Part9「海外公演~世界へ羽ばたくタカラヅカ」
Part10「宝塚歌劇団 戦争からの復活」
Part11「宝塚歌劇団の大運動会」
Part12「『虞美人』~小林一三翁逝く」
Part13「『華麗なる千拍子』~芸術祭賞」


『華麗なる千拍子』が初の芸術祭賞に

1938年(昭和13年)に初めて行い、その後戦争の影響で途絶えていた海外公演。1955年(昭和30年)の第一回ハワイ公演を皮切りに、海外公演も盛んになりました。
また関西テレビで「宝塚テレビ劇場」がスタート。若手を起用したショー形式であったり、舞台映像を流したりと、形態やタイトルを変えながらも1995年まで続き、関西の方々に親しまれました。

同じ頃、歴史に残る大ヒット作が誕生します。1960年(昭和35年)星組にて初演された、高木史朗作・演出のグランド・ショウ『華麗なる千拍子』です。
主演は、俳優の高島忠夫さんの妻で、高嶋政宏さん、高嶋政伸さんの母でもある寿美花代でした。

様々なミュージカルの名曲に続き、エンタティナー、寿美花代の粋な「千拍子」へ。そして、主題歌「幸せを売る人」での総踊りから銀橋へのパレードで始まるこのショーは、その名の通り、豪華で華麗な場面の連続。上演時間2時間があっという間に感じるテンポのあるショーとなりました。

主題歌「幸せを売る人」の希望あふれる歌詞と覚えやすいメロディーは、多くのファンに親しまれました。また「千拍子」の歌詞には「デモ行進などはやめにして歌いましょう」といった意味合いのフレーズも。60年代安保で揺れていた時代だからこそ、この明るく楽しいショーは多くの人々に愛され、通算7か月半上演し、観客動員数80万人を記録しました。

話題となった名シーンが、リオのカーニバルの場面。羽根の付いたダルマ姿で、パイナップルの女王に扮した寿美花代の妖艶な美しさが、観客を魅了しました。ショーで、男役が女役を演じるのは、ここから始まったのです。