わずか16名の少女たちから始まった劇団が、100周年を迎えた奇跡……。
様々な困難に遭いながらも新しいものを求め、今に繋いだ軌跡……。
そこにいつもあったたくさんの輝石……。
宝塚歌劇団100年へのキセキのひとコマをご紹介いたします。
――Part4「宝塚音楽学校の移り変わり」――

■宝塚歌劇団100年へのキセキ
Part1「小林一三が目を付けた宝塚村」
Part2「タカラジェンヌの意外な誕生秘話」
Part3「宝塚歌劇 第一回公演はお伽噺」
Part4「宝塚音楽学校の移り変わり」
Part5「宝塚大劇場の変遷」
Part6「東京宝塚劇場の変遷」
Part7「『モン・パリ』~レビューの誕生」
Part8「『パリゼット』~レビュー黄金時代」
Part9「海外公演~世界へ羽ばたくタカラヅカ」
Part10「宝塚歌劇団 戦争からの復活」
Part11「宝塚歌劇団の大運動会」
Part12「『虞美人』~小林一三翁逝く」
Part13「『華麗なる千拍子』~芸術祭賞」


毎春「宝塚音楽学校の今年の倍率は?」と話題になる宝塚音楽学校。宝塚歌劇団の生徒となるには、宝塚音楽学校を卒業しなければなりません。
宝塚音楽学校は、いわばタカラジェンヌの養成学校です。2年間の学校生活では、舞台に必要な技術や姿勢、礼儀作法などを学びます。

1913年の創立時より、一流の講師陣に指導を受ける学校のような集団ではありましたが、宝塚音楽学校そして宝塚歌劇団は、名称を変え、形態を変え、今に至りました。

では、宝塚音楽学校並びに宝塚歌劇団の移り変わりをご紹介しましょう。


宝塚音楽学校・宝塚歌劇団の移り変わり

宝塚音楽学校・宝塚歌劇団の移り変わり



宝塚唱歌隊に始まり、宝塚少女歌劇養成会と改名。
文部省私立学校令により学校として認可され、宝塚音楽歌劇学校に。そして、学校の生徒と卒業生(研究科生)とで、宝塚少女歌劇団が組織されます。

ここまでは、学校と劇団は一体でした。入学=入団で、学校で学びつつ、舞台にも立つ……という形態。

学校と劇団がはっきりと分離されたのが1939年(昭和14年)。宝塚音楽舞踊学校宝塚少女歌劇団に分かれ、学校の生徒が商業演劇となる舞台に出演することはなくなります。
やがてそれが、宝塚音楽学校宝塚歌劇団へと名称を変えたのです。